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隣人訴訟~他人の子どもは預からないということ

およそ40年前、三重県で行われた「隣人訴訟」というのが日本中を騒がせるニュースになったことがあり、これは今でも法学の教科書などで取り上げられることがある。

ある住宅地に住んでいる家庭の子どもが、ため池に入り込んで溺死した。その子の母は、ちょうど買い物に出かけていた。その母は、買い物に出かける際に、隣近所の別な夫婦に対して、その子どものことを「よろしく頼む」と告げていたのだが、その隣近所の夫婦が自分の家で別な用事に忙殺されている間に、その事故が起こったのである。(ただし隣近所の夫婦が子どもを「預かった」と言えるかどうか等、事実関係レベルで争いがある。)そして死亡した子の両親は、その隣近所の夫婦に対して、損害賠償請求の訴訟を提起したのだった。

今でこそ近所の人間を相手にした訴訟というのはそれほど珍しいものではないが、当時としてはかなりセンセーショナルに報道されて、まず原告、ついで被告に対して、世間から非難の電話や手紙が殺到し、原告・被告いずれも疲弊してしまい、結局その訴訟は、高等裁判所まで至った後に、取り下げで終了した。

この事件を紹介する法学の教科書は、このような世間の反応を日本社会の後進性の象徴のようにとらえて、「個人がもっと自律的にならなければならない」というような解説を加えるものもあれば、また、近代社会の「法化」現象の一つの現れとして位置づけて、従来の地域社会の人間の関係が変質していく過程に着目するものもある。

この事件そのものは、訴えが取り下げられてしまったため、訴訟で解決には至らなかったのだが、日本社会全体としては「解決」は既に見いだされている。

それは、「隣人の子どもは預からない」ということである。

この事件に対する世間の反響に「日本社会の後進性」を見て、「個人が自律して権利・義務をしっかり踏まえて解決するようにするべき」と説く観点を否定するつもりはないのだが、それは、「同じ共同体の中の仲間だから面倒を見てあげよう」と気軽に引き受ける発想を否定することになり、他人の子どもを預かる前に厳密な権利義務を定めた契約を締結するか、または一切預からないようにする、という形に行き着くしかないだろう。前者は非現実的であるから、結局は「隣人の子どもは預からない」という決着しかないのである。

(★子どもを預かってもほぼ間違いなく安全が確信できる場合は、もちろん別である。)

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