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「リベラル」の運動への支持が広がらない理由

反原発運動や反安保法制運動など、「リベラル」とされる勢力による運動は、それなりに盛り上がりを見せたりはしているが、幅広い有権者の共感・支持を集めるには至っていない。

原発に不安を感じたり、脱原発の必要性を認める人は、それほど少なくはないはずである。また、安保法制についても、必ずしも賛成しない人は相当数いるだろう。国会前の「反原発」「反安保」のデモなどにわざわざ来るのは限られた人だけだとしても、選挙などでもっと多くの大衆から広い支持を集められても良さそうなものだが、なぜそうならなかったのだろうか。

これは、思想が正しいかどうかとか、賛成反対とかという以前に、市民運動参加者と、多くの有権者との間で、認識の「枠組」のあり方に重大なギャップがあるからだと考えられる。一般の有権者から見れば、「原発をどうするか」「安保法制に賛成か反対か」というのは、あくまで政策的な手段の選択肢の問題である。

まず原発は、エネルギー供給の確保という目的のための手段の一つである。その手段の選択の中で、コスト、安全性などの要素を検討するわけだ。

いっぽう安保法制も、これまた、日本の安全保障をどうやって確保するかという目的のための手段の一つであって、その選択の問題である。

当たり前ではないかと思われるかも知れないが、ここで「リベラル」「市民運動」の人々との間で重大なギャップが出てくるのである。

反原発や反安保の運動をする人々にとっては、これは手段の選択の問題ではない。「善」と「悪」、「正義」と「邪悪」の対決の問題なのである。

複数の政策の手段の間には、善も悪もない。ただ、メリット・デメリットがあって、それを考慮してどう選ぶかという問題である。

しかし、反原発運動や反安保運動にとっては、そういう選択ではなく、あくまで「悪」である原発、「悪」である安保法制をどう阻止・廃止するかという観点の問題と考えられている。これが「認識」の枠組のギャップなのである。

一般の有権者、自民党支持者の中にも、原発に否定的もしくは慎重な人、安保法制に批判的な人は相当数いるだろう。だがその人たちは、政策選択の議論はしたいと思っていても、「善と悪の対決」という論法にはついていけないのである。

多数の有権者は政策の選択を考えたいと思っているのに、「リベラル」は、「善と悪の闘争」という枠組でしか対応することができていない。これこそが、「リベラル」の声が有権者になかなか届かない理由なのである。

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