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憲法9条についての私の考え:自衛隊の問題は「憲法第104条」新設で対応せよ!

安保法制が憲法9条に違反するかどうかという議論はいまだに記憶に新しいが、そもそも自衛隊は憲法9条違反だという議論が、自衛隊(というよりその前身の保安隊の、そのまた前身の警察予備隊)の創設時から今日まで続いていることを、まず忘れてはいけない。

特に憲法学者の世界では、自衛隊違憲説(憲法9条違反説)が通説というか多数説である。もっとも最近は若手の憲法学者の間で自衛隊合憲説も徐々に増えてきているようで(一例として木村草太・首都大学東京教授)、あと10年や20年もすればかなり憲法学界は様変わりしているかも知れない。世代が変われば法解釈の考え方も変わっていく。戦前戦中に育った世代、戦後間もない頃に成長した世代、さらに自衛隊や安保条約が存在して当たり前という状況で育った世代、憲法学者の中でもそれぞれ違いがあって当然である。

それはさておき、自衛隊が憲法9条違反だという前提に立った場合、それでは具体的にどうすれば良いのかという問題が出てくる。上記の通り、今のところ憲法学者の多数派は自衛隊違憲説だが、様々な憲法の基本書を見ても、「具体的にどうするべきか」まで踏み込んだ記述をしているものは少ないようで、「自衛隊は違憲である」というところでとどまってしまっているものが多い。

「自衛隊は憲法違反だというなら、9条を改正すべきだ」という主張が当然ありうるのだが、これに対しては、「現実に合わないからといって理想を取り下げるべきではない。現実を理想に合わせるように努力すべきだ」という反論がなされることがある。
しかし問題は、単に「現実」と「理想」の相違だけで済む話ではない。一般に「理想と現実」というと、「現実は理想通りにならないものだ」というふうに、もともと両者の間に違いがあって当然というニュアンスがあるが、9条に限らず、憲法の条文は、そのような意味での「理想」なのだろうか。
たとえば憲法18条は「何人(なんびと)も、いかなる奴隷的拘束も受けない」と定めているが、これは「理想」なのだろうか。仮に奴隷制を認める法令があって、奴隷状態の人がいた場合、「現実を理想に合わせるように努力するべき」で済むのだろうか。

ここで憲法98条1項を見てみると、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と定めている。つまり「現実を憲法の理想に合わせるように努力すべきだ」ということではなく、憲法に違反する現実(法律、命令、詔勅、国務に関する行為)はそもそも「無効」なのである。つまり奴隷制の例でいえば、「理想(18条)に現実(奴隷制)を合わせるように“努力”すべきだ」というだけでなく、「18条に違反する法律、命令(・・・)その他の行為は無効だ」ということになる。奴隷制をなくすように理想に向けて努力しろというレベルの問題ではなく、奴隷制を認める法令は「無効」である。
憲法9条も同じように考えるならば、自衛隊法や防衛省設置法も、「理想に反する」「理想に向けて努力すべき」では済まず、「無効」だということになる。

この点の問題は、憲法の基本書でいえば、たとえば高橋和之「立憲主義と日本国憲法」(第3版) で端的に触れられている。

「(9条の)改正に反対の人も、自衛隊は違憲であり直ちに廃止すべきだなどとは主張しないであろう。時間をかけて9条の規範内容を実現していくべきだと考えていると思われる。では、その間の憲法規範と現実との矛盾はどう説明するのであろうか。その矛盾が確認さえされていれば、矛盾が長期にわたって継続してもよいと考えるのであろうか。それでは、憲法を遵守すべきだという立憲主義の精神は、ご都合主義的なものとして後退せざるをえないのではなかろうか。」(同書63頁)

上記の「現実に合わないからといって理想(9条)を取り下げるべきではない。現実を理想に合わせるように努力すべきだ」という主張は、この点でいえば、「自衛隊がいつか廃止されるまでは(20年後?50年後?100年後?)、憲法9条違反の状態が継続しても良い」と言っているに等しいのである。

自衛隊合憲論の立場に立つならば、このような問題は生じないことになるが、自衛隊違憲論の立場を採る場合、この「現実に自衛隊をすぐに(永久に?)廃止することはできない以上、自衛隊が存在している間の状態をどう位置づけるか」という問題を避けて通ることはできない。(「違憲なら違憲で、控えめに自衛隊を運用すれば良い」という主張をする論者もいるようだが、これも「違憲(=無効)の制度でも(控えめに)運用すれば、存在して良い」と言っているのと同じであるから、立憲主義という意味では自滅行為である。

以下、この点についての私の考えを述べる。

自衛隊合憲論に立ってしまえば話は楽なのだが、憲法9条の文言を見るならば、やはり自衛隊がこれに違反しているのではないかという疑いを断ち切ることは難しい。自衛隊を廃止するなど(少なくとも10年や20年のタイムスパンでは)無理であり、それどころか永久に無理かも知れず、いずれにしても自衛隊が存在する限り、自衛隊と憲法の整合性が取れるようにしておかなければならない。
かといって9条の戦争放棄についての文言を捨ててしまうのが惜しいという気持ちもある。

そこで、憲法9条はそのままにしたうえで、これとは別に、憲法の末尾に、自衛隊の存在を認める新たな条文を追加するのである。
憲法の条文を実際に読んでもらうとわかるが、憲法は103条まで存在している。このうち国家の基本的構成や国民の権利など本質的部分を定めているのは1条から99条までであって、100条から103条までは、「第11章 補則」という章にまとめられている。この100条ないし103条は、憲法が施行された時の経過措置を定めたもので、1条から99条までの条文とは性質がまったく異なるものなのだが、そこに、自衛隊に関する条文を新たに追加するというわけである。

具体的には、新たに「第104条」を設けて、たとえば「第9条の定めにかかわらず、当面の間、自衛のための最小限の防衛力として自衛隊を保持することを妨げない。」としてはどうだろうか。

このアイデアはどうだろうか。憲法について「9条護持」でも「9条改正」でもなく、「104条追加」運動というのをやってみては・・・?

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