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濱口桂一郞「働く女子の運命」

 濱口桂一郞「働く女子の運命」(文春新書) を読んだが、これについて感想を書く前にまず、私が今から20年ほど前、サラリーマン時代(とある会社の人事労務の担当の末端にいた)に経験したエピソードをご紹介しておこう。その会社は、首都圏に本社を有し、各地に事業所をかかえている大企業である。 

 ・・・ある事業所のある部署で、勤務時間“外”に、いわゆる「QCサークル」の活動を行うこととなった。その部署のメンバーには、事業所の受付の女子も含まれていた。その当時、QCサークル活動は「勤務外」の自主的活動という位置づけになっていたので、所定労働時間の終了後(17時以降)に行われて、残業代の支給対象外とされていたが、実質的には強制参加に等しかった。
 その受付女子は、部署の部長に対して「これも強制的に参加するのだから、残業代が支給されないのはおかしいんじゃないでしょうか?」と不満を述べ、結局、その女子に対してだけ残業扱いを認めることになった。
 「なぜあの子だけ残業代を与えるのか」と他の男子社員たちから不満が出たが、その部長は、「男は、これからずっと長い間働いてもらって長い目で見てもらえばモトが取れるから我慢しろって言えるんだけど、女の子はそうもいかないからなあ」と言ってなだめた。
 なおこの受付女子は、会社のいわゆる正社員ではなく派遣社員であり、しかもその派遣会社は、その会社の子会社で、実質的に社内の一事業部門といっても良い位置づけであった。
 この事業所の受付女子は、もともとは代々正社員であったが、この時点では派遣社員になっていた。(この事業所の受付は、かつては地元の高校ないし短大を卒業した女性が正社員として採用されて配属されていた。しかし近年、全社的に正社員の採用を絞り込む傾向が強まり、この事業所でも、高卒ないし短大卒の一般事務職の女性を正社員として採用することがほぼなくなって、受付が退職した後任の補充を正社員として採用することが、社内の諸般の事情によりできなくなっていたのである。)・・・

 なぜ「働く女子の運命」の話をする前に、私自身の思い出話を突然始めたのかといえば、本書を読んでこのちょっとしたエピソードを思い出したからである。

 このエピソードは、雇用システムという観点で、いくつもの検討に値するポイントを含んでいる。
 ①QCサークル活動が原則として「自主的な活動」とされており、残業代の支給対象とされていないこと
 ②会社の受付が「女性」であることが当然とされていること
 ③男性社員は、残業代が支払われなくても「長い目で見ればモトが取れる(だから我慢すべき)」と考えられていたこと
 ④女性社員は③と反対に考えられていたこと
 ⑤受付女性を「正社員」として採用するのではなく、派遣社員(それも子会社)をあてるようになっていること

 これらのポイントのうち②は、現在でもあまり状況は変わらないのだが、女子が「職場の花」とされていた時代からの名残だろうか(本書56頁参照)。③と④は、本書の随所で触れているような、日本的な雇用における(旧来的な)男女の役割分担を典型的に示している。男は長期雇用の中で、将来的に昇進・昇給を続けて行くことが想定されており、今現在サービス残業をさせられたとしても、「長い目」で見ればモトが取れるとされている。これに対して女は、比較的短期間で退職するか、そうでなくても昇進・昇給が頭打ちになることが想定されている(いた)わけで、現時点での残業代の受給を我慢したところで、それによって将来なにかが報われて「モトが取れる」ようなアテは何もないのである。⑤は、一般事務(一般職)の女性の採用が激減し、派遣社員などの形で外部化されていったことを示している(本書202-203頁参照)。

 さて話を戻すと、本書は内容に即して言えば「日本的雇用システムの歴史と女性の地位の変遷」とでもいうタイトルがふさわしいところだが、それでは埋もれてしまうので、「働く女子の運命」というキャッチーなタイトルにしたのだろうか。

 紆余曲折はあったものの、生活給的発想による年功型賃金のシステムが日本企業で確立され、その中で女子は補助的職務が原則とされたうえで結婚その他で早期に退職することが明示的もしくは黙示的に期待されていたこと。やがて男女雇用機会均等法の施行以降、総合職の女性も男性並みに会社に人生を捧げて無限定な勤務を受け入れる機会が与えられる一方、従来的な高卒・短大卒の一般職の女性の需要は急速に消滅し派遣社員に置き換わっていったこと。しかしながら出産や育児とのかねあいで女性は苦闘し続けていること。・・・等々が、豊富な歴史的経緯の資料を踏まえて説明されている。

 このうち、派遣社員による一般職女子の代替について、ここでまた私自身の経験に即していうと、バブル崩壊以降、全社的に新卒採用の人員数が削減される中で、とりわけ高卒・短大卒の一般事務女子の採用が極めて絞り込まれていったことが思い出される。これには、OA化の進展の中で、補助的事務に必要とされる人員それ自体が減っていったことも関係があっただろう(たとえばソロバンが不要となり、大型電算機用のキーパンチャーも消滅していった)。
 限りあるリソースの中で、新卒採用は、大卒(大学院卒)技術系が最優先とされ、高卒・短大卒の一般事務女子は、採用の優先度としては最も下とされたのである。しかし現実には補助的な一般事務を行う人員も必要であり、この需要を満たすために、まず全社的施策としてではなく、各事業所や部署ごとの個別判断が先行する形で、勃興しつつあった派遣社員の女子の受入がなし崩し的に進行していった。派遣会社に支払う費用は業務委託費や外注費の形で計上されており、全社共通の給与計算・人員管理のシステムにも乗ってこないため、全社的な「人件費」の統制・管理から漏れており、そのままニーズに応じて拡大していったのである。そしていつの間にか、会社が擁している福利厚生サービス業務の子会社それ自体が、一般事務の女子を派遣するようになっていったのであった。

 ★なお、本書は、女子云々の部分を仮に一切度外視したとしても、日本の戦前から戦後に至る賃金を中心とした処遇制度(およびその思想)の変遷についての概観をさらっと示してくれるという点が大きな特徴であり、実は「働く女子の運命」より「賃金・処遇制度の運命」に関心がある読者にとってもお勧めである。
 この面で私にとって非常に印象的だったのは、本書185頁の次の叙述であった。
  「生活給の必要性ゆえに一律に年功序列的に昇進させるという人事政策をとっているにもかかわらず、それを客観的に測定不可能な『能力』に比例した処遇であると説明することによってその経済的合理性を弁証する・・・」
 これは私の会社員時代の経験でいえば、まさに「資格制度」がこれに当たっており、たとえば「〇〇三級」「××二級」などという「資格」が共通であれば、技術者だろうと事務員だろうと運転手だろうとすべて同水準の「能力」があり、それによって同水準の賃率や各種処遇が正当化されるのだというロジックで説明がなされていたのであった。これについてはまた別な機会に触れてみたいと思う。

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