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初詣ベビーカー論争と東浩紀と「権利」と「迷惑」

『AERA』で、東浩紀が「初詣ベビーカー論争に見る『迷惑』と『権利』の混同」という記事を書いている。

 ここで東浩紀は、初詣の場でベビーカーを使うと大勢の迷惑になるからやめるべきだという主張に対して、「迷惑」と「権利」を分けて考えるべきだと述べている。

 東はいう。
迷惑はやめろ、というのは厄介な命令である。それは規則を破るなという客観的な意味とともに、他人を不快にするなという主観的な意味をもっている。
 この厄介さは欧米由来の「権利」にはない。けれど日本人の多くは、迷惑の話と権利の話を混同している。
 だから論争が空転する。(・・・)これはベビーカー論争以外でも見られる構図である
。」

そして
私見では、この問題は、迷惑の話と権利の話を切り分けることでしか解決しない。
 権利の主張はときに他人の不快につながる。しかしそれでいいし、権利とはそもそもそういうものだと理解するべきなのだ。
 ベビーカーを使うと周囲が困惑するかもしれない。それでも使いたければ使えばいい。 
有休を取ると同僚が嫌な顔をするかもしれない。それでも取りたければ取ればいい。
 それが権利というものの本質ではないだろうか
。」
と結んでいる。

 一般論として、初詣の際にベビーカーを使うことの是非についてはここでは触れないが、ただ東の論理の進め方には、若干の混乱が見受けられるので、ここで整理しておきたい。

 そもそも初詣でベビーカーを使用する行為は、労働者が有休休暇を取得するのが「権利」であるのと同じような意味で、「権利」なのだろうか?

 ある行為をすることが「権利」だというからには、それを妨げないように求めることができなければならないし、侵害された場合はその侵害に対して、原則として何らかの救済を求めることができなければならない。

 たとえば有給休暇や育児休業を取得したい場合は、雇用主(会社)に対してそれを認めるように請求することができる。
 それは、たとえ同僚に「迷惑」がかかるとしても、法的に保障・保護された「権利」なのである。
 理屈のうえでは、雇用主が有給休暇を与えない場合は、訴訟で認めさせることもできる。 (いちいちそこまでやるかどうかは別だが、休暇を認めるかどうかについて争いになった裁判例は、現実に存在する)
 その意味で、東の言っている「他人に迷惑がかかるとしても、権利は行使して良いのだ」という命題は、有休休暇については正しい。

 さて、神社や寺に初詣をする際にベビーカーを使用することは、この有給休暇と同じような意味で「権利」なのだろうか?権利だとしたら、寺院や寺に対して、それを妨げないように求めることは可能なのだろうか?

 会社に対して「権利として有給休暇を取得させるように」と請求するのと同じように、参拝客は寺院に対して「権利としてベビーカー同伴で初詣をさせるように」という請求をすることができるのだろうか。
 たとえば、有給休暇を与えない雇用主を労働者が訴えて請求することができるのと同じような意味で、ベビーカー使用を認めない寺院に対して、訴訟で、使用を認めるよう求めることができるのだろうか。

 さらにいえば、有給休暇の場合は、労働者にそれを取得する「権利」があるということは、雇用主がそれを付与する「義務」を負うということでもあるわけだが、ベビーカー使用の場合は、寺院はその使用を認める「義務」を負っているのだろうか。

 思うに、寺院の境内は寺院の所有地であって、大勢の参拝客が来る中でどのように管理を行うかは、寺院の判断に委ねられており、それこそ寺院の「権利」である。
 その中で、参拝客相互の「迷惑」をどこまで許容するかも、寺院は考慮に入れなければならない。
 参拝客はそのような寺院の管理権の中で参拝を認められているのであって、参拝にベビーカーを使用することが「権利」とまで言えるかどうかはまた別問題である。

 その意味で、「迷惑のことは考えなくても良い、権利だけ考えれば良い」という東の主張は、有休休暇や育児休業の場合には、一応は当たっているが、初詣のベビーカー使用の場合は当てはまらないのである。

(★ただし、このAERAの記事の中で、東は「迷惑」というコトバを、「他人の主観的な不快感」という程度の軽い意味でしか使っていないことに注意を要する。)

 もちろん最終的な結論として、ベビーカーの使用を認めないのが妥当かどうかは、また別問題であって、個々の状況に応じて判断するべきことである。

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