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「解雇しにくい社会」は、日本企業が自分から産み出したものだ!

 「日本は解雇規制が厳しい。これを何とか緩和すべきだ」という主張は、世間でどこまで賛同されているかどうかは別としても、いまやメディアでは珍しくなくなった。

 解雇といってもいろいろなパターンがあるわけだが、大きく分けると、まず、①特定の労働者個人についての理由に基づいた解雇がある。たとえば、ある社員に仕事を遂行する能力がない(=職務遂行能力が乏しい)ということを理由とした解雇がこの例である。
次に、②会社経営の危機を人員削減で打開するために行う解雇(整理解雇)もある。
 
 日本は解雇規制が厳しいといわれるが、それでは具体的にこれらの解雇はどのように「規制」されているのだろうか。
 (★細かい点でいえば、解雇の予告とか、産休中や労災休業中の場合は解雇が制限されるなどの規定が労働基準法にあるが、一般にはこれらが主な論点になっているわけではないので、省略する。)

 たとえば、仕事ができない者を解雇したくなったら、山のように書類を作って、事前に役所(労基署とか?)にお伺いを立てて、許認可をもらわないと解雇できないのだろうか。そういう意味での「解雇規制」があるのだろうか。そういうことではない。

 労働契約法16条には、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」という定めがある。

 この条文が意味するのは、使用者(会社)には、労働者を解雇する権利があるにはあるのだが、客観的に合理的な理由がなく、社会通念上相当でないような解雇を行った場合、その権利を濫用したものとして、解雇が無効となるということである。

 つまり、解雇が裁判での争いになった場合、その解雇に「合理性」「相当性」が認められなければ、解雇は無効とされるということになる。

 (ただし会社から解雇を言い渡された人が、それについて何も異議や不満を述べず、裁判に訴えて「解雇は無効である」などと主張することもしないまま転職してしまえば、それまでの話である。あくまでも問題は、裁判で解雇を争うようになった場合にどうなるかということである。)

 まず①の例でいうと、仕事ができない人間を会社が解雇して裁判で争いとなった場合、会社としては、その人間を解雇したことに「合理性」「相当性」があることを主張・立証しなければならないことになる。

 そこで、会社としては、まず「その人間がどのように仕事ができないか」を証明することになる。
 そんなのは当たり前だといわれるかも知れないが、実はこれは必ずしも簡単ではない。というのは、多くの日本の企業では、それぞれの社員の担当する職務は、必ずしも明確に書面で定義され限定されて項目毎にブレイクダウンされているわけではないからである。
 もちろんどんな企業でも、実際に社員が担当する職務は何らかの範囲で決まっている。ただ、日本企業の場合、書面でその職務内容をあらかじめきめ細かく限定しておくことは避けて、むしろ大雑把で曖昧にしておき、柔軟で融通がきくようにしておくことが普通である。一つの部署の中でも仕事の分担は割と大雑把で、お互いに助け合うこともあるし、場合に応じて仕事の範囲を広げることもあるし、異なった部門や職務の間で配置転換されることもある。
 (職務を明確に限定するということは、「限定されたその仕事以外のことはしない(させない)」ということにつながるが、そうなると融通がきかなくなるので、多くの日本企業はそれを嫌うわけである。)
 最近はあまり聞かないかも知れないが、かつては「社員達が融通をきかせて協力しあう柔軟なチームワークこそが、欧米企業と違う日本企業の強みだ」などとよく言われていたのだ。
 
 このように、担当する職務の内容の決め方が大雑把で曖昧になっているということは、融通をきかせて柔軟に働かせやすいということであり、組織としての強みになると一応言えるだろう。
 しかし逆にいえば、いざ仕事ができない人間を解雇したくなった時に「その人間がどのように仕事ができなかったのか」を具体的・分析的に説明するのが結構難しくなるということでもある。「どんな仕事をするのか」を書面で明確にしておかないため、「どんな仕事ができなかったのか」を説明するのも厄介になるわけだ。

 もちろん現場で実際に見ている上司から見れば、仕事のできない人間がどのようにダメなのかは、直観的にわかるだろう。しかしいざ裁判となった時に、誰でも(=裁判官にも)わかるような形でそれを証明するとなると、なかなか難しいのである。
 
 次に②の整理解雇の場合はどうだろうか。会社のある事業部門の業績が悪化して人員を縮小しなければならなくなった場合、仕事そのものが減少または消滅するのだから、それに応じて解雇するのは「合理性」「相当性」があるようにも思える。
 しかし、日本企業では、職務や事業所を限定せずに社内で幅広く人員を動かすことも比較的普通に行われている。そうだとすれば、ある部門の人員を縮小する場合、他の部門で余った人員を受け入れられるのなら、なぜ解雇しなければならないのか?という話になってくる。

 普段から勤務先の事業所や担当職務をガチガチに固めて採用・配属しておいて、職務変更も転勤も行わないような会社なら、話は別かも知れない。しかし会社が普段から転勤や職務変更を頻繁に行っているのなら、ある事業部門が危機に陥った時も、同じように転勤や職務変更をまず行って対応すれば、わざわざ解雇しなくても良いではないか・・・ということになる。

 そうなると、裁判になっても、なかなか整理解雇を認めさせるのは難しいということになる。
 (整理解雇が認められる要件として、裁判実務では、①人員削減の必要性、②人員削減の手段として整理解雇を選択する必要性、③被解雇者選定の妥当性、④手続の妥当性、が求められているが、ここでは詳しい話は省略する。)

 さらに全体的な問題として、戦後の日本企業は、「人材を新卒から抱え込んで、長期的に育成・活用する」というタテマエで、人事制度、賃金体系、そして福利厚生制度を備えてきたということを忘れてはならない。このような仕組みの日本企業では、解雇されることの不利益は非常に大きいと言えるだろう。そのような状況も、裁判となった場合に当然考慮される。  

 このように考えると、日本は「解雇規制が厳しい社会」というよりも、「解雇が認められにくい状況を企業が自分から作りだしてきた社会」という方が正しいだろう。政府が勝手に解雇を厳しく規制して、企業に一方的に押しつけたわけではない。 

 解雇がしにくい社会は、日本企業が自ら作りだしてきたものなのだ。
 日本企業の「強み」と呼ばれていたもの=社内で人を柔軟に動かしやすい等ということと引き換えに。

 ただしその解雇がしにくい社会のしわ寄せが、別なところで現れてきているのも、また事実である。たとえば「いざとなったら人員を削減できるように、短期契約の非正社員を一定数抱えておき、不況の時は非正社員の契約を打ち切る」というようなケースは、今やお馴染みといえるだろう。

 (★以上のような前提が通用しないのであれば、日本の企業であっても“解雇しやすい”ケースはある。職務が厳格に限定されていて、ずっと長期的に勤務し続けることを必ずしも想定していないような企業としては、たとえばプロ野球チームを考えてみると良い。)

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