最近のトラックバック

人気ブログランキング


フォト

« ざわざわ森のがんこちゃん エピソード0 | トップページ | 内閣総理大臣は「日本民族」の族長ではない件 »

『ざわざわ森のがんこちゃん エピソード0』になぜ道徳教育のテイストが乏しいのか?

昨日のエントリで少しだけ補足。

 『ざわざわ森のがんこちゃん エピソード0』を見て違和感というか驚きを若干感じたのだが、それは、人類滅亡の怖さが描かれているからというわけではない。
 昨日も触れた通り、『がんこちゃん』は、子どもの道徳教育用の番組ということになっている。
 公式サイトを見てみると、普段のエピソードの内容を道徳教育に活用することを前提として、様々な教師向けの解説や、副次的なコンテンツ・資料が提供されているのがわかるだろう。
 この番組を学校で教師が子どもに見せて、「善悪の判断」とか「正直・誠実」とかの様々な道徳的なテーマについて考えさせるようになっているわけである。

http://www2.nhk.or.jp/school/movie/outline.cgi?das_id=D0005130185_00000

 だから、今回の年末スペシャル『エピソード0』で人類滅亡を描くにしても、「人間たちは廃棄物を捨てて環境を汚したので滅びました」とか「戦争で文明が崩壊しました」というふうな説明があって、「このようなことにならないように地球の環境や平和を守りましょう」という類いの教訓を視聴者(子ども)に示すような形に持っていくのだろうと私は予想していたのだが、その予想が裏切られたので、少々驚いたわけである。

 世界が砂漠になってしまった理由についても、なぜ人間が砂になって死んでしまうのかということについても、何の合理的な説明もない。(ネットでは深読みしていろいろな説が取りざたされているが、ここでは省略する。)

 せっかく「人類滅亡」というシビアなエピソードを描くのだから、それこそ道徳教育としてのテーマ性をいくらでも盛り込めそうなのに、なぜ道徳的な観点がほとんどない単なる終末SFのような描き方になってしまったのだろうか。

 調べて見ると、もともとの『がんこちゃん』は、末吉暁子という児童文学者が原作と脚本を担当していたのだが、2015年に押川理佐という人に交代し、末吉暁子は2016年5月に亡くなったということである。
 さらに今回の『エピソード0』の脚本はまた別で、赤尾でこという人だった。
この名前にはどこか見覚えがあったので確認して見ると、アニメの脚本を多くてがけている人で、アニメソング等の歌手でもあるという(歌手・三重野瞳の別名が「赤尾でこ」ということらしい)。

 このような事情があって、道徳教育の色彩のない、ディストピアを扱うSFドラマのような『エピソード0』が作られたということなのかも知れない。

(★追加)
 赤尾でこが脚本を書いたアニメ作品はいろいろあるようだが、今回の件との関連で、興味深いものを見つけた。
 『フレッシュプリキュア!』第47話を赤尾でこが担当しているのだが、そこでは、コンピュータに支配されたパラレルワールドの管理社会で、無表情・無気力な少女が、ドーナツを食べて笑顔になる・・という場面がある。
 実はこれに似た場面が今回の『がんこちゃん エピソード0』にもあって、感情を抑えている少女にがんこちゃんが“サボテンの天ぷら”を食べさせると、その少女は楽しげな感情を見せるのである。
 つまり『フレッシュプリキュア!』第47話で使った場面が、今回の作品にも反映されたということなのかも知れない。

« ざわざわ森のがんこちゃん エピソード0 | トップページ | 内閣総理大臣は「日本民族」の族長ではない件 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/454842/69136467

この記事へのトラックバック一覧です: 『ざわざわ森のがんこちゃん エピソード0』になぜ道徳教育のテイストが乏しいのか?:

« ざわざわ森のがんこちゃん エピソード0 | トップページ | 内閣総理大臣は「日本民族」の族長ではない件 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ