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天皇の基本的人権と皇族の「ご結婚」問題

 天皇の生前退位(または譲位)についての議論にも関係するが、天皇(と皇族)に基本的人権があるのかどうかというのは、法学的にも一つの論点である。

 憲法学の世界では、「天皇には基本的人権はない」という学説と、「基本的人権はあるが制限を受けている」という学説の両方が存在する。

 ここでいう「基本的人権がない」という言葉の意味は、人として生きる価値がどうでもいいとかいう“不敬”な意味ではもちろんなく、憲法で定められている基本的人権の保障(たとえば表現の自由とか、職業選択の自由)が及ばない、ということである。

 「天皇に基本的人権はない」という説は、基本的人権とは、歴史的に、フランス革命などの時代に個人を絶対王権や封建領主などに対して守るために作られた概念であって、個人を国家に対して守る働きをするものだと考えている。そして国民には基本的人権が認められるようになり、その内容や対象範囲が拡大されていって、最後に「国民」に含まれないまま残ったのが、日本の場合でいえば「天皇」(と皇族)だと考える。天皇という地位は、いわば近代以前の身分制の中で最後に残った「飛び地」のようなものであって、その外側に基本的人権を保障された均質な国民がいる、というイメージである。
(憲法学者では、たとえば樋口陽一、長谷部恭男)

 これに対して「基本的人権はあるが制限されている」という説は、まず現時点で、国家の中に均質な個人が集合している状態をイメージする。すべての個人には、本来的には基本的人権が存在している。まずその状態から出発するのである。そのうえで、天皇・皇族という一部の人にだけは、特殊な事情から、その、もともと持っている基本的人権に特殊な「制限」を加えられている。これが天皇ということである。
(憲法学者では、たとえば芦部信義、戸波江二)

 つまり、「天皇に基本的人権はない」説は、歴史的な流れの中で物事を見て、基本的人権という概念がなかった時代の最後の名残が天皇とか皇族だと考える。ここでは、天皇や皇族は、そもそも「国民」には含まれない。
 これに対して、「天皇に基本的人権はあるが制限されている」説は、まずは国家を構成するすべての国民に基本的人権がある状態から出発して、そこから例外扱いを絞り込んでいくという思考プロセスをたどるわけである。ここでは、天皇や皇族は、「国民の中の例外」ということになる。

 以上の話は、現在の憲法の解釈や説明の仕方の違いであって、結論としてはそれほど違ってくるわけではない。ただし、これから天皇・皇族がどうあるべきかというのは、また別の問題である。

 これからの国のあり方として、できるだけ天皇と皇族を一般人の扱いに近づけるべきだと考えるか、それとも、まったく違う存在として扱い続けるべきだろうか。
 (前者の究極の形が、いわゆる「天皇制の廃止」論ということになるが、それはまた別な機会に触れる。)

 いわゆる保守の立場の論者には、天皇や皇族と一般人との断絶、隔絶を強調し、生活様式も含めて可能な限り一般人とは断絶したものであるべきだ、というニュアンスの人が多い。

 ここで一つ考えなければならないのは、皇室は血筋で保たれているから、結婚して子孫が生まれなければ成り立たないということである。結婚相手がなければ皇室は絶えてしまう。

 ところが一方、天皇や皇族が一般人とは違うということを強調すればするほど、天皇や皇族の結婚は、難しくなるといえるだろう。
 なぜなら、皇族以外の国民はすべて「一般人」なのであって、基本的人権や自由を享受している。皇族と結婚して、基本的人権を失う(または制限される)ことを選ぶ人間は、時代とともに減りこそすれ、増えることはないだろう。

 つまり、皇族の特別扱い(=基本的人権がないor制限される、等々)を強調すればするほど、結婚が難しくなるというアイロニーがあるのである。

 この問題は、現実には男性皇族と一般女性の結婚の場合にだけ起こる。なぜなら、女性皇族は(現在の皇室典範では)一般男性と結婚すれば、皇籍を離脱して、皇族ではない一般国民となるからである。

 戦前は現在とは状況が違っていた。天皇・皇族の他に、かつての公家や大名の子孫である華族という身分の集団がいて、一般国民とは違った法的地位や生活様式を保ち、皇族の結婚相手の女性を輩出していたからである。

 いま、華族はもはや存在しない。天皇・皇族以外はすべて、基本的人権が備わり、自由なライフスタイルの味を覚え、普通に社会生活をしている国民しかいないのである。

 よく「皇位継承は、男系に限るべきか、女系も認めるべきか」という議論が行われることがあるが、男系だろうと女系だろうと、結婚相手が見つからなければどうにもならないのである。そして今の日本の体制は、個人の意思に反して「嫁にやる」ということは、法的には不可能である。

 逆に、天皇・皇族の立場が、一般国民に近づけば近づくほど、結婚へのハードルは低くなるだろう。ただその方向で進めていくということは、いずれ憲法改正をして、天皇の地位を変えるしかなくなるだろう。それがどのような姿になると考えられるのか、それは改めて考えることとしたい。

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