最近のトラックバック

人気ブログランキング


フォト

« 松尾陽ほか『アーキテクチャと法 法学のアーキテクチュアルな展開?』 | トップページ | LINE上級執行役員の「憲法って、ただの紙の上に書かれた文章」発言 »

フランス大統領選についての2つの対照的な考察(東浩紀と大野舞)

今般のフランスの大統領選挙の結果については、いろいろな考察が発表されているが、『AERA』の東浩紀の巻頭エッセイと、BLOGOSに掲載された大野舞(パリ在住の人)のブログ記事が、好対照をなしていて印象に残ったので、ここでご紹介する。

 まず東浩紀は、現代世界の主要な政治的対立軸は、もはや右と左ではなく、グローバリズムへの賛否なのだという。

 “ルペンは右と言われるが、弱者にやさしい(ように見える)。マクロンは左派に近いと言われるが、実態は金融エリートだ。決選投票では、左右のイデオロギーではなく、グローバリズムへの賛否こそが問われたのである。
  この構図は米大統領選と酷似している。トランプは右だが弱者の支持を集めたし、クリントンはリベラルだが金融街と結びついていた。・・・ナショナリズムとグローバリズムが主要な対立軸を構成し、そこに古い左派の理想が名目的な第三勢力として関わるというこの構図は、おそらくは今後、先進国共通のものになっていくのではないか
。”

 ここでいう「右」「左」の意味は必ずしも定かではないが、それはさておき、東はさらに日本の状況に目を向けて、

 “日本の問題はじつは、右傾化や保守化にではなく、まさに上記の構図自体を作れていないことにあることがわかる。安倍政権は経済的にはグローバリズム寄りだが、イデオロギーは守旧的で排外主義的である。他方で野党はみなグローバリズム批判であり、マクロンに相当する勢力は存在しない。・・・日本にいま必要なのは真のブルジョア政党かもしれない。”

ともいう。

 (安倍政権が経済的にグローバリズム寄りだというのは良いとして、イデオロギー的に「守旧的」「排外主義的」と言えるのだろうか。たとえば外国人材の受入を進めている安倍内閣は「排外主義イデオロギー」に動かされているなのだろうか。
 もちろん安倍首相の個人的信念や傾向については、日本会議との関係とか、その価値観について、「右寄り」「復古的」などと言えるのだろうが、東は、この安倍晋三という一個人の傾向・信念と、安倍内閣全体のイデオロギーとを混同しているといえよう。内閣は、様々な利害調整の中で動いているのであって、首相一人の信念のままに動いているわけではないし、内閣として統一された「イデオロギー」を持っているわけではない。)

 一方の大野舞の記事は、マクロンとルペンの対立の中で、その対立軸そのものが排除してしまっている視点を拾い上げている。決選投票で棄権者が多く出たということは、「グローバリズム(ネオリベ)か排外主義か」の二者択一しかないことへの反発、嫌悪を感じる層が根強く存在しているということである

 そして大野は、マクロンを強く支持する動きは、極右でも極左でもなく「極中」(Extrême Centre)というべきだという論評も紹介する。現在の主流のグローバル資本主義の経済システムを強く推進し、平均的な「中道」こそが正義であるとして、そこから外れた者に対して極めて不寛容なのが「極中」だというのである。
 つまりアイロニカルな表現ではあるが、極左・極右を排除して、自分たちこそが主流だとする「極中」という立場が存在するわけである。

 さらに、このようなグローバルな資本主義を推進し、その恩恵を享受している層(大野が引用する論者の表現を借りれば「社会の中級かそれ以上の階級に属し、生活に何不自由ない人々で、海外に留学したり仕事で飛び回るなどしている人たち」である)は、正義の味方づらをして、極右のルペンとの対決を呼びかけていたけれども、むしろそのような層こそが、社会の格差を広げて、排除された人々を産み出して、ルペンや国民戦線を支持するように追い込んで言ったのだという。

 前述の東の「グローバリズム対反グローバリズムの図式を作るべきだ」という主張と比べてみると、大野が(いろいろな論者を紹介する形で)述べているのは、そのような図式から排除されてしまう問題があるということ、そしてグローバリズムこそが、恩恵を受けられない人々を産み出して、反グローバリズムや極右排外主義を育てたのだということである。

 「マクロン対ルペン」のような図式を、これからのあるべき対立軸の典型のようにとらえる東と、その対立軸そのものに異議を提示する見解を紹介する大野を対比してみると、その違いは非常に興味深い。

(なお東は、日本でも、フランスや米国のような「グローバリズム対反グローバリズム」の「構図」を作るべきだと主張し、「真のブルジョワ政党」が必要だというのだが、そのような構図が日本でなかなか成り立たないとすれば、それなりの理由があるはずである。
ここではあまり深く考察する余裕はないが、たとえばまず、日本は、外国人の労働力をだいぶ受け入れるようになっているとはいえ、フランスや米国のような移民・難民の受入規模には到底及ばないということが挙げられるだろう。EUの中心であるフランス、移民国家でメキシコと国境を接しているある米国とはまったく立場が違うのである。
 さらに自民党という政党は、グローバリズム寄りの施策をいろいろ推進しているとはいえ、伝統的に大都市圏以外の支持基盤も強く、そのグローバリズム志向を徹底することはできないということもあるだろう。
 もっといえば、東のいう「真のブルジョワ政党」、つまりグローバル資本主義を推進する党が出来たとして、それを支持する層=グローバル化の徹底で恩恵を受ける層がどれくらいいるかという問題でもある。)

« 松尾陽ほか『アーキテクチャと法 法学のアーキテクチュアルな展開?』 | トップページ | LINE上級執行役員の「憲法って、ただの紙の上に書かれた文章」発言 »

マスメディア」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/454842/70593209

この記事へのトラックバック一覧です: フランス大統領選についての2つの対照的な考察(東浩紀と大野舞):

« 松尾陽ほか『アーキテクチャと法 法学のアーキテクチュアルな展開?』 | トップページ | LINE上級執行役員の「憲法って、ただの紙の上に書かれた文章」発言 »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ