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松尾陽ほか『アーキテクチャと法 法学のアーキテクチュアルな展開?』

松尾陽・編『アーキテクチャと法 法学のアーキテクチュアルな展開?』(弘文堂)

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アーキテクチャ。本来、建築や建築物を意味するこの言葉は、いまや物理的な技術一般、物事を構成する枠組みや構造一般のことを指すようになった。・・・これらの物理的な技術や構造を設計することで、人々が行為する物理的な環境を構成し、人々の行動を一定の方向へ誘導する手法として、アーキテクチャという言葉が注目されることにもなった。」(はしがき)

 法律により人間の行動を規制することは一般的に行われているが、それとは別次元で、道路や施設の構造、インターネットのシステムなどの客観的な要素によって人間の行動を規制・誘導するという状況が、今、改めて「法」「自由」「人権」などとの関係で、注目・検討されている。

第1章「法とアーキテクチャ」研究のインターフェース(松尾陽)
第2章「アーキテクチャの設計と自由の再構築」(成原慧)

この2章は、アーキテクチャと法の関連について、全体的な思想・研究状況の紹介や概論の役割を果たしている。
特に先駆的な研究として、米国の研究者(法律実務家でもある)のローレンス・レッシグとキャス・サンスティーンがたびたび取り上げられており、この2名はこの後の章でも頻出なので、私としても読まねばという気になった。

第3章「個人化される環境」(山本龍彦)では、情報環境が極度に個々人向けに“カスタマイズ”される状況が、逆に個人の尊重・尊厳を蝕んでいくという“逆説”が取り上げられている。たとえばある人が閲覧するポータルサイト等の画面に、その人の好みや過去の履歴に応じたニュース記事や商品広告ばかりが選ばれて表示されるようになると、「個人化」された環境といいながら、実は特定の傾向に個人を押し込めて、それ以外の選択の可能性が奪われていくのではないか、ということである。それが「超個人化」が「個人主義」を崩していくという意味で“逆説”とされているのだが、こういう状況は「(超)個人化」というより、「孤立化」とでも言い換えた方が良いのではないか。

第4章「技術の道徳化と刑事法規制」(稲谷龍彦)では、リスクのある技術開発に刑事制裁を課することの可否と社会的な利益等について、完全自動運転車の事故などの例を挙げて検討している。

第5章「アーキテクチャによる法の私物化と権利の限界」(栗田昌裕)では、著作権(特にドイツ)とコピーガードの問題を中心に、アーキテクチャ(ここではコピーガード)が人間の自由(ここでは複製の自由)を侵害するかどうかという問題を中心に検討している。取り上げているのは、著作権法の中の特定の論点であり、かなり特殊な分野ではあるが、その問題提起としてはかなり普遍性を持っており、本書の中でも異彩を放っている。

第6章「貨幣空間の法とアーキテクチャ」(片桐直人)は、いわゆる仮想通貨と法の問題について論じているが、まだ発展途上で激しく変動する分野の問題だけあって、なかなか深く語るのは難しい感じである。

第7章「憲法のアーキテクチャ」(横大道聡)は、技術や物理的施設ではなく、憲法そのものを「アーキテクチャ」として捉えているので、他の論者とは切り口が根本的に異なるのだが、それはそれで面白い。特に「日本では『何かを建設しようとする構築の意思を持つことは危険であるとするのが、憲法学の初動的な反応』で、『憲法学は何かをつくり上げる学問ではなく、抵抗し、批判する学問であるという自己規定が強い』ため、建築学で用いられる概念を憲法学で用いるのは『大抵評判が悪い』とされる。」という指摘は、実に鋭いと思った。

第8章は座談会で、本書の各著者に加えて、大屋雄裕がゲストとして参加している。私自身、「アーキテクチャ」の概念が法学などで使われていることを初めて知ったのは、大屋雄裕の『自由とは何か』(ちくま新書)が最初だった。

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