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2017年7月

厚生年金の事業主負担分も本人が負担しているのか?(城繁幸氏の説について)

 「みんなの介護」という介護系メディアのサイトで、人事コンサルタントの城繁幸は最近、次のように言っている。

厚生年金に関して知っておくべき話がひとつあります。厚生年金は現在、約19%で、そのうち半分は会社が負担してくれるということになっています。しかし会社側から見れば、事業主負担も実質的には本人負担だということです。”

 城の主張をさらに読んでみると、具体的にはこういうことである。

 まずある企業のAという労働者が、額面で50万円の給料を支給されているとする。厚生年金の保険料率が仮に20%とすると、Aの場合は(単純化していえば)10万円である。

 厚生年金保険料は、事業主と被保険者が折半で負担することになっている。
そこでこの10万円を企業とA本人が折半で5万円ずつ負担することになるから、A自身の手取りは、50万-5万=45万円である(ここでは所得税その他の徴収は無視しておく)。

 しかし城繁幸によれば、事業主負担も、実際には本人が負担させられているのだという。

 企業側からみれば、給料50万円+厚生年金保険料事業主負担分5万円=55万円がAの人件費である。つまりAは「本来55万円をもらえるはずだった」という。

 そのうえで企業側は、上記の5万円を事業主負担分として納付しているから、実際にはAは、“自分がもらうべき”55万円から、事業主負担分5万円と本人負担分5万円の両方の合計10万円を負担して、45万円を手取りとして受け取っていることになる。

 つまり城によれば、厚生年金保険料は、事業主負担分も本人負担分も、どちらも結局は労働者本人の負担でしかないのだという。

 城繁幸のこの議論は、「Aは本来、50万円ではなく55万円をもらえるはずだった」という仮定に基づいている
 仮に厚生年金制度が存在しなければ、Aの給料は50万円ではなく55万円になっていたはずだという主張である。

 だが、本当にそういえるのだろうか。仮に厚生年金のない世界であれば、会社の負担するAに関する人件費が月55万円から50万円に下がるだけではないのか。

 Aは、支給される給料が額面月50万円という前提で会社に雇用されている。月50万円で働いてくれる者に、わざわざ月55万円を支払う会社はないだろう。
 厚生年金がなければ、会社は余計な5万円などわざわざ負担する必要はないし、そしてAは50万円という条件で納得して働くのだから、Aの支給される給料は50万円のままなのではないか。

 なお「事業主負担分」があるのは、厚生年金だけではない。健康保険にも労働保険(雇用保険と労災保険)にも事業主負担分はある。とりわけ労災保険には、本人負担は存在せず、100%事業主負担だが、城繁幸の理屈では、この労災保険も、「労働者が本来もらえるはずだった人件費の中から、すべて自分で支出しているのだ」ということになるのだろうか。

 さらに城繁幸の理屈でいえば、会社が支出する各種福利厚生費(これも人件費の一部といえるだろう。たとえば会社独自の福利厚生制度とか、社内食堂の会社負担分とか、社内運動会とか)も、「本来なら労働者が全額もらえるはずだった人件費に含まれる」ということになる。
 つまり城繁幸の説では、人事や福利厚生にかかわる諸費用は、一見「会社負担」のように見えても、実際はすべて労働者本人が負担しているものでしかなく、実質的には「会社負担」のものなど存在しない、ということになるのだろうか

「強すぎない安倍政権」という選択肢はないのか?

都議選での自民党の大敗と、内閣支持率の低下を受けて、自民党内では「反安倍」の動きが始まったようである。

特に内閣支持率では、NHK・朝日・読売のいずれの調査でも30%台に落ち込んでおり、これまでの比較的高い支持率に比べてかなり急激な低下であって、自民党内でも危機感が強まるのはまあ当然である。

政局の動きについてはあまり立ち入りたくはないが、「強すぎない安倍政権」という選択肢はないのだろうか。

あまり自民党の議席が多すぎない程度で、国会では野党との協議や調整をきめ細かくやらなければならない状況になったうえで、政権は当面、安倍内閣にやってもらう・・・という選択肢があっても良いと思うのだが。

もっとも、次の国政選挙がいつになるかわからない今の段階で、こんなことを言ってもむなしいかも知れない。

実際は、安倍首相が自民党内で圧倒的な力をもって「安倍一強」と呼ばれるのは、選挙で強さを示して多数の議席を確保してきたからであって、それができないとなれば、「強すぎない安倍内閣」ではなく、「安倍降ろし」が自民党としての選択肢ということになるのだろう。

なぜ都議会選挙や都知事選挙は、国政選挙のような雰囲気になってしまうのか?

 東京都議会選挙は、都民ファーストの圧勝に終わった。

 都知事選挙や都議会選挙の場合、今回に限らず、多かれ少なかれ“国政の代理戦争、前哨戦”みたいな扱いで報道されて、実務的な政策論争になりにくく、有権者もその流れに乗って、国政についての意識をそのまま持ち込んだりムードに流されたりする傾向は、前々からある。
  (昭和の「革新都政」がもてはやされた時代もそうだった。)

 なぜこういう現象が起こるのだろうか?
 なぜ、東京都知事選挙や東京都議会選挙は、国政選挙のような感覚になってしまうのだろうか?
 「マスコミが煽っているからだ」というのは一つの答えだろうが、有権者がその煽りに反応するだけの理由の説明は一応必要だろう。

 たとえば静岡県や鹿児島県の県議会選挙で、マスコミが「この県議会選挙は、実質的には、安倍政権への国民の支持の度合いを測る意味のある選挙だ」と言ったところで、有権者は乗ってくるだろうか? 
 他の府県では成り立たないことが、どうして東京では成り立つのだろうか?

 もちろんそれは、東京都民が他の府県民よりもバカとか変わり者だからというわけではない。
 答えは簡単で、東京都民の大半は、都政がどうなろうとあまり生活には実質的に影響を受けないような立ち位置の人間だからである(大企業のサラリーマンとその家族、第三次産業従事者、小学校から大学までの教員、メディア関係者、大学生、などなど)。

 他の府県の知事選挙ともなれば、全然話が違ってくるだろう。農林水産業、比較的小規模な商工業、土建業などに従事する人々の比率が高い府県では、どういう知事を選んでどういう行政をしてもらうかは、その地域住民にとっては死活問題である。

 東京にも農林水産業や小規模な商工業や土建業にかかわる人はいるし、築地・豊洲問題はここらへんの関係者にとっては重要な課題のはずだが、いかんせん、東京全体の有権者の中では少数派なのである。

 東京の有権者の大半は、都知事選挙や都議会選挙を、国政選挙の代用物のように考えて、大雑把な感覚で投票しているが、それは、そういうことができるだけの余裕がある社会層が東京都民の大半をしめているということであり、これがいわゆる浮動層なのだ。

 (付け加えると、市長選とか区長選になると、いくら東京でも、さすがにもう少し現場の実情を反映した状況になるかと思う。)

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