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労働時間の把握が、ようやく使用者の義務として明文化される?

 6日の読売新聞の記事によれば、厚生労働省は、労働安全衛生法施行規則を改正して、従業員の労働時間の把握を企業の義務として明文化する方針を固めたとのことである。
 (読売新聞以外では今のところ報道されていないので、どこまでしっかりした裏付けがある記事なのか気になるところではあるが・・・)

 以前のエントリでも触れたとおり、労働時間(または出退勤時間)を使用者が記録・把握する義務は、これまでのところ、労働基準法でも、労働安全衛生法でも、法令に明文では定められていない。

労働基準法には、使用者側が労働時間を記録する義務は書かれていない!

今こそ労働時間の記録を法律上の義務にしよう

 現時点の厚生労働省の公式見解としては、あくまで“解釈上”「使用者には、労働時間を適正に把握するなど、労働時間を適切に管理する責務がある」としているだけである。ストレートに法令の条文で「使用者は労働者の労働時間を記録しなければならない」等の記載がされているわけではない。

 今回の読売新聞の報道が事実だとすれば、ようやく労働時間の把握義務が、法令の条文として明確に定められることになる(ただし「法律」ではなく、それより下位の「規則」(省令)であるが)。

 なお、これは労働基準法ではなく労働安全衛生法の施行規則として定めるとのことであり、事実だとすれば、労働時間の把握が健康管理のため重要であるという認識のあらわれだろう。
 報道によれば「管理監督者を含めたすべての労働者を対象とする」とのことだが、管理監督者であれば長時間労働で過労死しても良いなどという理屈はないから、これは当然のことである。そうだとすれば、現在政府が導入を検討している、いわゆる“高度プロフェッショナル”(=残業代が支給されない、一定の専門的職務の従事者)も、残業代の支給の有無とは無関係に、労働時間を把握するということになろう。

 (ちなみに、労働時間把握の義務を明文化しようという動きは、2016年に、野党4党から、労働基準法改正案の提出という形で出ていたようだが、これはそのままになってしまっている。)

 それにしても、健康管理という面でいえば、残業代が支給されるかどうかよりも、労働時間を使用者が把握・記録するかどうかの方がはるかに重要だと思うのだが、どうもメディアの関心が薄いようである。

学生の就職先として人気が高いのは「公務員」

 リスクモンスター株式会社が7月26日に発表した「大学1,2年生が就職したいと思う企業・業種ランキング」という調査の結果によれば、1位は「地方公務員」、2位が「国家公務員」だったという。

(なおキャリコネニュースの記事も参照。)

 今回発表されたものに限らず、この種の意識調査は、昔から似たようなものがいくつも出ていて、公務員が就職先として学生の人気が高いというのは、もうお馴染みの話になっていたと思う。(今手元に資料はないので正確なことはいえないが、公務員人気が低かったのは、バブル時代くらいではないだろうか。)
 そして若者が「将来は公務員になりたい」というと、年上の人間から「公務員になりたがるなんて、夢がない」という反応が返ってくるというのも、昔からある程度お約束のパターンになっており、今でもその名残がある。

 しかし「公務員=夢がない」とか「安定志向なんて夢がなさすぎる」などと考えるのは、少なくとも今時はいささか見当違いだろう。

 「夢」とは、「現実にはなかなか得られない、高い価値がある(と思われる)もの」だろう。そうだとすれば、「仕事(生活)の安定」こそは、まさに「夢」なのである。

 現実には仕事や生活は不安定だという意識が広がっており、だからこそ、なかなか手に入らない「仕事や生活の安定」が夢になっている。
 そんな「夢」を求めて、若者は公務員に憧れるのだ。

 もちろん、イメージの世界ではなく現実世界の公務員が「安定」しているのかどうかはまた別問題である。

「残業代ゼロ」・「脱時間給」・「成果型賃金」・・・どの名称がお好きですか?

秋の臨時国会に政府が提出を予定している労働基準法の改正案について、連合(の執行部)が、一定の修正を条件として容認の姿勢を見せていたが、傘下の産別労組などが強く反発し、容認を実質的に撤回することとなった。

ここでは細かく立ち入らないが、各新聞の見出しを比べて見ると、なかなか面白い。

(1)朝日新聞

「残業代ゼロ」容認、連合見送りへ 批判受け方針再転換

専門職で年収の高い人を労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」を条件付きで容認する方針転換をめぐって混乱していた連合の執行部が、高プロの政府案の修正に関する「政労使合意」を見送る方針を固めたことが、関係者への取材でわかった。(・・・)

(2)日経新聞

連合、「脱時間給」容認を撤回 政労使合意は見送り
 
連合は25日、労働基準法改正案に盛る「脱時間給」制度を巡る政府、経団連との修正案の政労使合意を見送る方針を固めた。連合執行部が現行案の修正を政府に要請したことに、傘下の産業別労働組合などが強く反発。組織をまとめきれないと判断し、撤回することになった。(・・・)

(3)産経新聞

「成果型賃金」容認を撤回へ 連合、政労使での合意見送り 労基法改正案

高収入の一部専門職を残業代支払いなどの労働時間規制から外し、成果に応じて賃金を決める「高度プロフェッショナル制度」を含む労働基準法改正案の修正をめぐり、連合が政労使での合意を見送る方針を固めたことが25日、関係者への取材で分かった。(・・・)

こうしてみると、朝日は「残業代ゼロ」、日経は「脱時間給」、産経は「成果型賃金」である。記事本文そのものはそれほど大きく違っているわけではないが、こういう見出しの書き方の違いはいろいろと考えさせられる。

朝日の「残業代ゼロ」というのは、明らかに非難というか否定的なニュアンスがこめられているが、実際に残業代(時間外割増賃金)は支給されなくなるのだから、間違いではない。

日経の「脱時間給」というのはやや微妙である。労働時間が長くなっても、それに応じた残業代が支給されなくなるという意味では、「脱時間給」というのも間違いではない。ただし、今でもいわゆる「月給制」(=遅刻や早退をしたり、所定労働時間より短く勤務しても、賃金が減額されない扱い)の労働者は、既に存在している。(ただしそういう「月給制」の労働者も、原則として残業代は支給しなければならないのが労働基準法の規定である。)こういう「月給制」の人は、今でもすでに(ある程度)「脱時間給」といえるのではないだろうか。

これらに対して、産経の「成果型賃金」というのは、ミスリードを招くものだろう。成果に応じようと応じまいと、とにかく一定の高度に専門的な職務の労働者には残業代を支給しない、というのが労働基準法の改正案なのである。
使用者には、残業代を支給する義務がなくなるだけであって、成果に応じた賃金を支給する義務が発生するわけではない。

逆にいえば、今でも、成果に応じた賃金を支給できないわけではない。成果の上がっている者の賃金を高く、上がっていない者の賃金を低く設定するような労働契約を締結するのも自由である。ただしそれとは別に、法定労働時間を超えたら、原則として残業代を支給しなければならないというだけのことである。

なお、過去の記事で何度も書いているが、描き上げた絵の枚数に応じてお金をもらうアニメーターとか、ヤクルトの販売数に応じて報酬をもらうヤクルトレディとか、売上に応じてカネをもらうタクシー運転手などは、立派な「成果に応じた報酬」である。(必ずしも「労働契約」ではないが)

以上のとおり、「残業代ゼロ」は間違いではないが非難のニュアンスに傾きすぎ、「脱時間給」はややズレており、「成果型賃金」は、違う次元の問題を混同している。もう少し別な言い方はないだろうか。

個人的には、単純に「固定賃金制度」とか「定額賃金制度」で良いのではないかと思う。

「強すぎない安倍政権」という選択肢はないのか?

都議選での自民党の大敗と、内閣支持率の低下を受けて、自民党内では「反安倍」の動きが始まったようである。

特に内閣支持率では、NHK・朝日・読売のいずれの調査でも30%台に落ち込んでおり、これまでの比較的高い支持率に比べてかなり急激な低下であって、自民党内でも危機感が強まるのはまあ当然である。

政局の動きについてはあまり立ち入りたくはないが、「強すぎない安倍政権」という選択肢はないのだろうか。

あまり自民党の議席が多すぎない程度で、国会では野党との協議や調整をきめ細かくやらなければならない状況になったうえで、政権は当面、安倍内閣にやってもらう・・・という選択肢があっても良いと思うのだが。

もっとも、次の国政選挙がいつになるかわからない今の段階で、こんなことを言ってもむなしいかも知れない。

実際は、安倍首相が自民党内で圧倒的な力をもって「安倍一強」と呼ばれるのは、選挙で強さを示して多数の議席を確保してきたからであって、それができないとなれば、「強すぎない安倍内閣」ではなく、「安倍降ろし」が自民党としての選択肢ということになるのだろう。

なぜ都議会選挙や都知事選挙は、国政選挙のような雰囲気になってしまうのか?

 東京都議会選挙は、都民ファーストの圧勝に終わった。

 都知事選挙や都議会選挙の場合、今回に限らず、多かれ少なかれ“国政の代理戦争、前哨戦”みたいな扱いで報道されて、実務的な政策論争になりにくく、有権者もその流れに乗って、国政についての意識をそのまま持ち込んだりムードに流されたりする傾向は、前々からある。
  (昭和の「革新都政」がもてはやされた時代もそうだった。)

 なぜこういう現象が起こるのだろうか?
 なぜ、東京都知事選挙や東京都議会選挙は、国政選挙のような感覚になってしまうのだろうか?
 「マスコミが煽っているからだ」というのは一つの答えだろうが、有権者がその煽りに反応するだけの理由の説明は一応必要だろう。

 たとえば静岡県や鹿児島県の県議会選挙で、マスコミが「この県議会選挙は、実質的には、安倍政権への国民の支持の度合いを測る意味のある選挙だ」と言ったところで、有権者は乗ってくるだろうか? 
 他の府県では成り立たないことが、どうして東京では成り立つのだろうか?

 もちろんそれは、東京都民が他の府県民よりもバカとか変わり者だからというわけではない。
 答えは簡単で、東京都民の大半は、都政がどうなろうとあまり生活には実質的に影響を受けないような立ち位置の人間だからである(大企業のサラリーマンとその家族、第三次産業従事者、小学校から大学までの教員、メディア関係者、大学生、などなど)。

 他の府県の知事選挙ともなれば、全然話が違ってくるだろう。農林水産業、比較的小規模な商工業、土建業などに従事する人々の比率が高い府県では、どういう知事を選んでどういう行政をしてもらうかは、その地域住民にとっては死活問題である。

 東京にも農林水産業や小規模な商工業や土建業にかかわる人はいるし、築地・豊洲問題はここらへんの関係者にとっては重要な課題のはずだが、いかんせん、東京全体の有権者の中では少数派なのである。

 東京の有権者の大半は、都知事選挙や都議会選挙を、国政選挙の代用物のように考えて、大雑把な感覚で投票しているが、それは、そういうことができるだけの余裕がある社会層が東京都民の大半をしめているということであり、これがいわゆる浮動層なのだ。

 (付け加えると、市長選とか区長選になると、いくら東京でも、さすがにもう少し現場の実情を反映した状況になるかと思う。)

稲田朋美防衛大臣の発言と自衛隊法と公職選挙法

都議会選挙で、自民党の候補について「自衛隊としても」応援をお願いしたという稲田朋美防衛大臣の発言が問題となっている。

具体的な法律に照らして検討してみよう。

まず自衛隊法61条1項で
隊員は、政党又は政令で定める政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法をもつてするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除くほか、政令で定める政治的行為をしてはならない。」
とある。

これだけを見ると、まず、政党などのための寄付金集めをしてはいけないのは何となくわかる。ただ、「政治的目的」と「政治的行為」とは具体的にどこまでの範囲を指しているのかよくわからないが、これは政令で定めることになっている。

この「政令」が、自衛隊法施行令である。
自衛隊施行令86条1号によれば、禁止される「政治的目的」の例として

衆議院議員、参議院議員、地方公共団体の長、地方公共団体の議会の議員・・・の選挙において、特定の候補者を支持し、又はこれに反対すること

があり、さらに87条1項8号によれば、禁止される「政治的行為」の例として

政治的目的をもつて、前条第一号に掲げる選挙・・・において、投票するように又はしないように勧誘運動をすること

とある。

すると、都議会選挙で「自民党候補に投票するように、自衛隊としてお願いするという稲田朋美の発言はそのまま自衛隊法違反ということになりそうだが、自衛隊法で政治的行為が禁じられているのは、「隊員」である。
「隊員」とは、自衛隊法2条5項によれば

防衛省の職員で、防衛大臣、防衛副大臣、防衛大臣政務官、防衛大臣補佐官、防衛大臣政策参与、防衛大臣秘書官、第一項の政令で定める合議制の機関の委員、同項の政令で定める部局に勤務する職員及び同項の政令で定める職にある職員以外のものをいう

とされているので、たとえば統幕議長や東部方面総監は「隊員」に含まれるが、防衛大臣は「隊員」ではないので、稲田自身が自衛隊法違反の罪そのものに直接問われるということにはならない。

(ちなみに自衛隊法61条1項に違反して「隊員」が政治的行為を行った場合、3年以下の懲役または禁固に処せられる(同法119条1項1号)。

ただし、防衛大臣が、防衛大臣の立場で、自衛隊が自衛隊法違反の行為をすることを前提とした発言を公に行ったということになるから、防衛大臣としては不適格ということになるだろう。

またこれとは別に、公職選挙法違反の問題がある。

詳細ははぶくが、公選法136条の2では、公務員(防衛大臣も含まれる)が、候補者を推薦し、支持する目的をもって、その地位を利用して、候補者の推薦に関与し、若しくは関与することを援助し、又は他人をしてこれらの行為をさせることを禁止している。

選挙について「防衛省として、自衛隊としてお願いしたい」という言い方をした稲田の発言は、ここでは、防衛大臣としての地位を利用した都議選の候補者支援活動ではないかということで、問題となるわけである。

若者の死因1位は「自殺」だが、自殺する確率が中高年より高いわけではない

最近公表された厚生労働省の2017年版「自殺対策白書」によれば、

我が国における若い世代の自殺は深刻な状況にある。年代別の死因順位をみると、15~39歳の各年代の死因の第1位は自殺となっており、男女別にみると、男性では10~44歳という、学生や社会人として社会を牽引する世代において死因順位の第1位が自殺となっており、女性でも15~34歳の若い世代で死因の第1位が自殺となっている。”

とされていて、若い世代の死因の第1位が「自殺」であることが強調され、大きな反響を呼んでいるようだ。

この「自殺対策白書」は、下記のリンク先で読むことができる。

http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/jisatsu/16/

ただし、若者の死因の第1が「自殺」であることと、若者が中高年よりも確率的に自殺することが多いかどうかは、まったく別問題である

具体的に見てみよう。白書の年齢別の統計は以下の部分に掲載されている。

http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/jisatsu/16/dl/1-03.pdf

たとえば20~24歳の年齢層について、死因別の死亡率(10万人あたりの死亡者数。「%」ではないことに注意)を比べてみると、死因で1位の「自殺」は19.7、2位の「不慮の事故」が6.4、3位の「悪性新生物」(いわゆる癌などだろう)が2.9である。

これだけ見ると、なるほど若者の自殺による死亡率が非常に高いと思わされる。
以下、39歳まで5年刻みの層を見てみても、やはり最初に書いたとおり、自殺が死因の1位を占めており、死亡率はおおむね20程度である。

では、これに対して中高年はどうだろうか。

まず50~54歳の年齢層をみてみると、死因の1位は「悪性新生物」で死亡率は100.9、2位は「心疾患」で33.3で、「自殺」は3位どまりだが、死亡率はなんと26.2である。若者よりも自殺による死亡率は若干高いのだ。

このような傾向は他の年齢層でも似たようなものである。40歳~44歳と45歳~50歳までの層もそれぞれ見てみると、自殺は死因としては2位か3位にとどまるが、死亡率は20を超えていて、若者層とおおむね同じか、若干上である。

要するに、若者が中高年よりも自殺する確率が高いわけではない。自殺する確率としては、若者も中高年もおおむね同じで、敢えて言えば後者が少し上回っている。

正確にいえば、若者は、自殺以外の原因では死亡しにくい(=中高年は、自殺以外の原因で死亡しやすい)ということなのである。

中高年の死因は、「悪性新生物」や「心疾患」が上位に入ってくるので、「自殺」の順位が下がっているだけなのだ。若者が「悪性新生物」や「心疾患」になる確率が低いのは、ある意味当然だろう。だからこそ、「自殺」が上位になっているだけなのだ。

もちろん自殺対策は必要だし、さらにここでは触れる余裕はないが、国際的に比較してみると、日本人の自殺率は高い部類に入るようだ。
ただし「若者は中高年より自殺しやすい」と考える人がいたとしたら、それは誤解である。若者も中高年も自殺による死亡率に大きな違いはないということは、理解しておかなければならない

前文部科学事務次官の出会い系バー通いについて

 加計学園問題で官邸からの圧力について証言した前川喜平・前文部科学事務次官の「出会い系バー通い」が、ちょっとした話題になっている。

 しかし前川氏が出会い系バーに通おうと、キャバクラに通おうと、また、その動機が女性の貧困調査だろうと別な目的だろうと、前川氏の発言の信憑性には何の関係もないだろう。

 だいぶ前に旧大蔵省の証券局長が、銀行からの接待でノーパンしゃぶしゃぶ(?)に通っていたことが明るみになって退職に追い込まれたことがあったが、この証券局長は官僚として仕事が出来る人だという評判であり、特に発言が信用できない人だったとか嘘つきだったという話はどこからも聞かない。

 その意味で、「前川氏は出会い系バーに通うようないかがわしい人物だから、その発言は信用できない」という論法は成り立たない。

 様々な報道を見る限りでは、前川氏は在職中から、教育行政の観点から貧困問題について本当に関心を持っていたのは事実のようで、出会い系バーに行った時も、「女性の貧困」という観点が何らかの程度あったのは本当なのかも知れない。

 (しかしついでにいうと、出会い系バー通いをしていた官僚が、逆の立場の人だったらどうだろうか。

 たとえば官邸の首相秘書官が出会い系バーに通っていたことが発覚したとしたらどうだったろうか?
 主流派の自民党議員が出会い系バーに通っていたとしたらどうか?
首相秘書官や自民党議員が、前川氏と同じ程度に「女性の貧困問題について知る」という目的をもってバーに通っていたとして、どのように報道されるだろうか。「女性の貧困問題を知るためにバーに行った」と主張したとしても、信用されるだろうか。

 現在、安倍政権に批判的な立場の論者やメディアが、前川氏を擁護する主張をするケースが見受けられるが、逆の立場の官僚や議員が同じことをしたら、どう反応しただろうか。)

 それはそれとして、前川氏の主張が事実だとして、それが安倍政権にとってどの程度マイナスなのかどうかは、また別問題である。本当の論点はこの部分だろう。

LINE上級執行役員の「憲法って、ただの紙の上に書かれた文章」発言

 LINEの上級執行役員の田端信太郎という人が、ツィッターである人と議論していて、

納税している人は納税していない人と比べて社会の存続を考えるうえで比較すれば、有用であるということ。そして納税していない人が、公的な再分配を受け取る程度は、納税している人を含めた民主的な政治決定の結果をはみ出ることはできない、ということに合意されるということですね。”

と述べると、それについて相手側が

それには合意できないです。憲法では、全ての個人に生存権が保証されているので。”

と答えた。

 そこでさらに田端は、

 “憲法って、ただの紙の上に書かれた文章ですよね。。。実際に餓死しそうな人がいるときに、「憲法」がアンパンを恵んでくれたりするのですか? 誰か、生身の人間が、お金を出してアンパン買うところから始まりますよね?

 とコメントしたのだが、これがネット上で賛否両論を巻き起こし、また勤務先の会社から厳重注意を受けたそうである。

 (ITmediaの記事参照) 

 私なりの感想をいうならば、田端は、「憲法は紙切れにすぎないから無視して良い」とか「憲法には価値がない」とかいうレベルの主張をしているのではなく、憲法それ自体が直接的に人間の生存を保証する給付を与えてくれる機能を持っているわけではない(=憲法に「生存権」の条項を書き入れても、現実には公的財源の裏付けがなければどうにもならない)という意味のことを言おうとしているのだと思われる。

 憲法は25条で「生存権」を保障している。これは、国や自治体が、国民に対して最低限の生活ができるための一定の給付を与えることを憲法によって義務づけられているということである。生活保護が代表的なものだが、食料や住居を現物支給するという制度も理屈としては考えられるだろう。

 とばいえ、憲法に生存権が規定されていれば、それだけで生活保護費等が自動的にどこかからわき出てくるわけではなく、そのための財源がなければならない。その財源は税収によってまかなわれる。

 つまり田端は、憲法それ自体に生活保護を直接給付できる機能があるわけではなくて、誰かが納税して国が生活保護の財源を確保することによって初めて生存権が保障される、という当たり前のことを、いささか挑発的に述べたのではないか

 憲法の教科書を学んだ人なら誰でもわかると思うが、この「生存権」は、同じ憲法で保障された他の権利、たとえば「信教の自由」(20条)などと違う、際だった特徴がある。

 たとえばカトリックや浄土真宗を信仰する人の信教の自由は、政府=公権力がカトリックや浄土真宗を弾圧したり、違う宗教を信じるように押しつけたりしなければ、守られる。
 ここでは政府は何もしなければ良いのであり、憲法は、公権力を制限して、個人の自由を守る働きをする。政府が個人の自由を侵害すれば、憲法違反となる。(このような権利を「消極的自由権」ともいう。)

 これに対して「生存権」は、政府が何もしなければ、どうすることもできない。政府が積極的に動いて、生活困難な人に対して何らかの金銭や物品を給付することで、初めて「生存権」が保障されることになるからである。
 
 この場合、いくつかの問題が出てくる。まず、政府は、どの程度の給付を支給すれば、憲法の「生存権」に違反しないのだろうか。たとえば生活保護を支給するとして、いくらであれば、憲法違反にならずに済むのだろうか。
 さらに、上記の問題がクリアできて、一応の生活保護として支給すべき水準がある程度は基準として決めることができるとしても、実際の財源がどうしても足りない場合は、どうすれば良いのだろうか。

 このように、「生存権」は憲法上の権利ではあるが、それをどのように実現するかについては、「信教の自由」などとは違う困難な問題があるわけである。

 さて、今回の田端の発言で本当に議論の対象とするべきなのは、「憲法がただの紙の上の文章」という部分ではなく、その前の「納税していない人が、公的な再分配を受け取る程度は、納税している人を含めた民主的な政治決定の結果をはみ出ることはできない」という部分である。

 憲法の規範レベルの問題でいえば、公的な再配分=生活保護等は、民主的な政治決定のプロセスで定めさえすれば、どのようにでも変えて良いというわけではない。
 たとえば、“民主的な政治決定”の結果として、一切の生活保護は月5千円の給付だけとすることは、さすがに(現在の物価水準を前提として)憲法違反だろう。かなり稀なケースを除いて、月5千円ではまず生活できないからである。
 いかに民主的な意思決定の結果として、生活保護を月5千円と決めたのだとしても、それは生存権を侵害するものであり、憲法違反と評価されるだろう。つまりどのように民主的な意思決定の結果であっても、憲法に違反することはできないのである。その意味では、田端の議論相手の人物の「憲法では、すべての個人に生存権が保障されている。」という反論は正しい。

 しかし次の段階として、現実の経済的制約の問題が出てくる。どのように財源を探しても、増税しても何をしても、財政上の制約があって、生活保護を1人あたり月5千円しか支給できない場合は、いくら憲法違反だと言ったところでどうしようもないではないか、という問題である。ここは、田端の表現を借りれば「有用」な存在である「納税者」を確保し、その活動を促進して税収を維持するような施策をするしかないということになるだろう。

神社本庁の「日本人でよかった」のポスターの中国人モデルに帰化してもらおう!

神社本庁が2011年に「私 日本人でよかった」というキャッチコピーを付けた女性の写真を使ったポスターを製作し、6万枚作成して全国の神社に配布していた。これは日の丸掲揚を提唱する趣旨のポスターだという。

ところがこの写真のモデルの女性は、なんと中国人だったということで、ネットで話題になっている。
いろいろな写真の画像ファイルを有償でダウンロードして利用できるサービスの会社「ゲッティ・イメージズ」の女性モデル画像を業者が使ったのだが、それは中国人女性だったのだ。

(参考)
ハフィントンポストの記事


神社本庁は今のところ、特に問題とするつもりはないようだが、そうは言ってもせっかく「日本人でよかった」というポスターを作ったのに、モデルが中国人女性というのではガッカリで、“国旗掲揚”の啓発のポスターの効果に水を差されたような気分になるのではないだろうか。
しかし物は考えようである。発想を逆転して、この中国人女性を探し出して(上記のハフィントンポストの記事によれば、撮影したカメラマンには特定して接触できているから、女性を探すのも不可能ではなさそうだ)、日本に帰化してもらってはどうだろうか

この女性が日本に帰化すれば、「日本人でよかった」のポスターのモデルは「日本人」だということになるから、何の問題もなくなる。
ただし帰化するためには様々な要件をみたして、法務大臣の許可を得ることが必要だから、必ず実現できるとは限らない。
帰化のための具体的な要件は、国籍法第5条第1項に定めがあり、「引き続き5年以上日本に住所を有すること」「自己又は生計を一にする配偶者その他の親族の資産又は技能によつて生計を営むことができること」など、なかなか面倒だ。
しかも、この第5条第1項の要件を充たしても、必ず法務大臣が帰化を許可しなければならないわけではない。帰化を許可することが「できる」というだけである。
いずれにしても、この女性が現在中国に在住しているとすれば、「5年以上日本に住所を有すること」という要件を充たしていないことになり、少なくとも今の時点では帰化できないことになってしまう。
しかし別な手がないわけではない。
国籍法の第9条を見てみると、「日本に特別の功労のある外国人については、法務大臣は、第5条第1項の規定にかかわらず、国会の承認を得て、その帰化を許可することができる。」と規定されており、「特別の功労」がある外国人なら、さきほどの第5条1項の面倒な要件を充たさなくても、帰化の許可を受ける道があるのだ。

この中国人女性は、国旗掲揚の啓発ポスターのモデルになってくれたのだから、「日本に特別の功労のある外国人」といえるのではないか。あとは法務大臣と国会次第で、この女性に日本人になってもらえるのだ。
この女性が本当に「日本人になれてよかった」と言ってくれるなら、なかなか素晴らしいことだろう。

(以上、もちろん冗談です。というかご本人の意思を何にも考えていませんが。)

より以前の記事一覧

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