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経済・政治・国際

東芝が自社株購入呼びかけ

共同通信の記事によると、東芝が社員に「持株会」で、自社株の購入を呼びかけたという。

記事によれば

経営再建中の東芝が、東京証券取引所による「監理銘柄」の指定で上場廃止の恐れが指摘される中、社員向けに自社株購入を呼び掛けていたことが21日、分かった。自社株を保有する社員の多くは、系列の米原発会社の経営破綻などを背景に株価低下で含み損が出ており「会社のモラルを疑う」と反発している。

 東芝関係者によると「東芝持株会2017年度4月定例募集に関する件」と題した文書で全社員に周知された。4月3日から募集を始め、監査法人からの適正意見を得ずに決算発表するなど混乱が続く中で21日に締め切った。

・・・ということである。

記事をなんとなく読むと、経営危機に陥って株価が低迷しているので、株価を維持するために無理矢理社員に買うように呼びかけているかのような印象を受けるが、そうではないだろう。

社員(東芝では、「従業員」と呼ぶのが正式である)に配布された文書が「東芝持株会2017年度4月定例募集に関する件」と題されていることからもわかるように、これは、あくまで定期的な持株会の募集のルーチンの通知にすぎない。

たまたまこういう時期だからマスコミに取り上げられて騒がれているだけであって、経営危機であろうとなかろうと、東芝が持株会制度を備えている限り、定期的に従業員に配られる通知である。

もちろん、従業員に配られた通知に「危機の今こそ、持株会に入って、会社の株を支えましょう」とでもいう社長名義の文章があったら話は別だが、そんな文章があれば、マスコミに漏れてもっと騒がれているはずである。

今村復興相と山本地方創世相の「失言」は同列に扱うことはできない!

 今村雅弘復興担当相山本幸三地方創世相の発言が、相次いで「失言」「暴言」として取り上げられている。
 しかしこの2人の大臣の発言は、まったく位置づけというか意味合いが違うので、同列に扱うことはできない。

 まず今村復興相の発言は、基本的には政府の方針に沿っているものであって、「被災者の感情を大臣が踏みにじったかどうか」を独立して議論しても仕方ないものである。

 例の発言の経緯としては、福島県が自主避難者への住宅の無償提供が3月末で打ち切ったことが話題として取り上げられて、そのうえで復興相は「(帰るか避難を続けるかは)基本的に本人が判断すること」と述べ、さらにまだ帰還できない(自主避難の)人については、「本人の責任、本人の判断」と述べている。

 (なお、避難したこと自体が自己責任、という意味ではなく、今なお帰らないのは自己責任、という意味だろう。)

 これは、善し悪しはともかくとして、政府の現在の基本的な方針を反映したものであって、復興相個人が適任かどうかとか失言とかいう問題ではない。復興相は政府の方針に沿った発言をしたに過ぎない。
 (政府全体としては自主避難者について「本人の責任、本人の判断」と考えていないのに、復興相が勝手にそういう発言をしたというなら、もちろん話は別であるが。)
 復興相が辞任したり発言を撤回したたところで、この政府の政策が変わるわけではない。

 もちろん政府として公に「自己責任論」という露骨な言い方をしているわけではないが、基本的方向性はそういうことであって、それがいけないとすれば、復興担当大臣を替えることによってではなく、政府の政策全体を議論して変更することによって解決するしかないだろう。

 つまり議論すべきは、今村大臣の発言の善し悪しではなく、自主避難者への支援をどこまで政策として行うかということなのである。
 
 一方、山本幸三地方創世大臣の方はどうかといえば、「学芸員はガンだ、一掃すべき」というのは、表現自体の善し悪しもさることながら、まさか政府が、公的な制度である「学芸員」を、地方創世にとって有害な存在だと考えて一掃するような政策方針で動いているわけではないから、暴言以外の何者でもなく、このような勝手な発言をする者が大臣にふさわしいかどうかを正面から議論すべきである。

 今村大臣は(言い方の善し悪しは別として)政府の方針に沿った発言をしたが、山本大臣は、政府の方針とは何の関わりもない暴言を吐いた。これが両者の違いである。

香山リカがチャンネル桜および出演者に対して訴訟を提起

 香山リカの3月30日付のブログ記事によれば、チャンネル桜のインターネット番組『沖縄の声』に出演した人物3名と、株式会社日本文化チャンネル桜を相手として、東京地裁に訴えを提起したという。

 香山リカ自身のブログおよびツィッターでは、「東京地裁に訴えを提起しました」という言い方しかしていないが、事案の内容を見る限りでは、名誉毀損に基づく損害賠償請求訴訟ということだろう。

 (ここで政治的・思想的な次元の議論には触れるつもりはないが)問題となったチャンネル桜の番組を私は見ていないので、香山リカ自身のブログ記事での説明をとりあえず紹介すると:

 チャンネル桜の2016年10月27日の 「【沖縄の声】ヘリパッド反対派を初起訴、香山リカのツイートが法に触れる可能性あり」というタイトルのコンテンツで、まず、キャスターの栗秋琢磨という人が、香山リカについて、「対面診療義務違反」「プライバシー侵害ないし守秘義務違反」を自らのツィッター投稿により犯していると主張し、さらに、「香山リカの勤務先の診療所に医師法の違反が疑われて監査が入った」「千代田の保健所から監査が入った」等という趣旨のことを述べ、それについて、平原伸泰および鉢嶺元治という出演者が相づちを打つなどした、ということのようである。

 まず、香山リカのツィッターでの一定の言動が「対面診療義務違反」「プライバシー侵害ないし守秘義務違反」にあたるかどうかは、問題となっている特定の言動が具体的にどのようなものだったのか、そしてそれをどのように法的に評価するかの問題であるが、ここでは立ち入らない。

 一方、「保健所から監査が入った」と述べた点については、一定の事実についての主張であるが、監査が実際におこなわれていたかどうかにかかわらず、まず、それは香山リカの社会的評価を低下させる発言として、名誉毀損にあたると評価される可能性がある。名誉毀損は、真実であったとしても成立しうる。
 (ただし、以下に述べるとおり、一般論としては、一定の要件をみたす場合に、主張した内容が真実であるか、真実だと誤信したことに相当の理由があった場合に、違法性が阻却されて、名誉毀損が成立しなくなる場合もある。)

 この件で、栗秋が反論するとすれば、名誉毀損について、違法性阻却の事由があることを主張するのが定石だろう。
 具体的には、①自分が香山リカについて述べたことは、公共の利害に関する事実にかかるもので、②目的がもっぱら公益を図ることであり、③真実である(または真実でなかったとしても、真実だと誤信するのに相当の理由があった)、と主張すると思われる。もちろんこの主張が裁判所で認められるかどうかは、やってみなければわからない。

 なお、ブログでの説明を見る限りでは、平原および鉢嶺という人は、ただ単に相づちを打つに近い発言だったようにも見える。ただ単に相づちを打っただけでも名誉毀損にあたるのかどうかという点は、興味深い論点になる可能性があるだろう。(実際の番組では、もっと踏み込んだ発言をしていたのかも知れないが、そこは見ていないのでわからない。)

時間をかけなければ成果が出るわけがない!労働時間と成果には関係がある!

 またまた最近の「働き方改革」の文脈の議論について。

 「工場の製造労働は、労働時間に応じて成果が出てくる。しかしホワイトカラーやクリエイティブな仕事は、労働時間と成果は関係ない。」という類いの主張が最近、掃いて捨てるほど見られるようになってきた。

 だが、果たしてこの種の言説は正しいのだろうか。“クリエイティブ”な仕事は短時間でも完成するものなのだろうか。たとえば小説家、作曲家や画家の仕事は、労働時間には関係ないのだろうか。

 たとえばあのモーツァルトはごく短時間で次々に曲想がうかんで多くの曲を作ることができたらしいが、そういうのはあくまで例外中の例外である。極めて特殊な例外的天才を基準にすることはできない。

 小説執筆だろうと作曲だろうと絵画だろうと、何らかの芸術作品を作るには、必ず一定の作業時間が必要である。

 もちろん時間をかければ必ず良い作品が出来るというものではない。時間をかけても駄作だったとか、うまく発想がまとまらずに完成できなかったとかいうことはあるだろう。
だが、時間をかけなければ、どちらにしてもまともな作品は出来ないのだ。

 つまり、たっぷり時間をかけることは、クリエイティブな仕事をする者が“成果”をあげるための十分条件ではないけれど、必要条件なのである。

 芸術家はさておき、もう少し一般的な範囲でいうと、専門的な職種の代表としてよく挙げられる医師、弁護士や税理士の場合はどうだろうか。これらの仕事の場合でも、成果と時間は関係ないのだろうか。そうではない。

 医師が診察をしてじっくり症状を検討するのは、それなりに時間をかけないと良い成果を生み出せない。弁護士や税理士は、書類や資料の検討に時間をかける。書類や資料が多ければ、それだけ時間もかかることになる。

 もちろん、かける時間が2倍になれば成果も単純に2倍になるというわけではないので、厳密な意味では時間と成果は「比例」はしない。 
 しかし、時間をある程度かけなければ成果は上がらないし、時間を長くかけた方が成果につながる可能性が高まる(ただし限度はある)という意味では、やはり「時間」と「成果」は関係があるのである。

 誤解されると困るので断っておくと、今回、このようなことをわざわざ書いた理由は、「成果を出すためには時間をかける必要があるから、労働時間規制は無理だ」とか「成果を上げるために、みんなもっと時間をかけて働くべきだ」などと言いたいからではない。
 とにかく「クリエイティブな仕事は、時間に関係なく成果を出せるはずだ」という妄想じみた言説はやめて、まずは「どんな仕事でも、成果を出すには時間がかかる(ただし時間をかけても成果が出るとは限らない)」ということを正面から認め、そのうえで、労働時間規制をどうするかについて議論するのが筋だと考えたからである。

 (なお「ホワイトカラーの仕事には、会議や問い合わせ対応など無駄な時間が多く、成果に結びつかない」という議論もあるが、これは、従事する仕事に無駄なものが含まれているかどうかの問題であって、労働時間と成果の関係の議論とはまったく別問題である。両者を混同してはならない。)

 最後にもう一度書いておこう。「クリエイティブな仕事の場合は、かけた時間と成果とは関係ない」などという妄言は、相手にしてはいけない。

竹内克志「残業問題への対応についての違和感」について

竹内克志氏が、「残業問題の対応についての違和感」と題したブログ記事で、

“長時間の残業による過労死の問題によって、残業に関する規制が強化されていることに関して、いろいろ考えさせられることがあります。

 まず、過剰な残業を強制されるような状況は、排除するという方向性には同意しています。しかしながら、それに対応する法律や企業の対応にすっきりしない感じを持っています。”

と述べ、残業規制問題について、おおむね次のように主張している(要約)。

 1 労働時間に応じて成果が決まる職種と、そうでない職種がある。後者についても労働時間の規制を及ぼすのは不当である。

 2 一部企業では、PCの使用記録をもって労働時間を記録するというやり方が行われている。これは、企業の側が違法な長時間労働をさせていないことの証明として行うのであれば、一応理解できる。しかし、管理職のように、労働時間に応じて成果が決まるわけではない従業員にとっては、このようなやり方は不利になるものである。

 3 スタートアップ企業(ベンチャー企業)には、経営者と従業員との区別が明らかでないケースもあり、そのような場合にも一律の労働時間の規制を及ぼすのは、経営の活力を損なう恐れがある。

 このうち1については、何か誤解をしているようだが、労働基準法の労働時間規制は、「成果」が上がるかどうかとは何の関係もない。成果が上がろうと上がるまいと、長時間労働は、働く者の健康を損なうものだから、規制を受けるにすぎない

(さらにいえば、「成果が労働時間に比例するわけではない」ということは、労働時間を規制しなくて良い理由にはならない。「成果が労働時間と関係ない」ということは、「成果を上げるまでは、どこまでも際限なく働かなければならず、健康を害する」ということにもなりかねないからである。逆に「短時間でも成果が上がる」のであれば、規制があろうとあるまいと影響はないはずである。)

2の点は、元の記事の意図が必ずしも明確ではないのだが、おそらく「単に労働時間だけで成果を評価しないでくれ」という趣旨と思われる。しかしここで問題となっているのは、健康管理のための労働時間である。PCの記録による労働時間の把握は、“少なくとも”これだけの時間は働いた(働かされた)ことの証明となるのだから、その限りでは、労働者にとって有利になるものだろう。それと、どの程度の報酬(賃金)を支払うかは、また別問題である。

3の点はなかなか難しい問題であるが、“ベンチャー”“スタートアップ”企業といっても、それこそ「すき家」のようなケースもあるので、労働者保護をおろそかにして良いかどうかは別問題である。もう少しきめ細かく具体的に検討してみる必要があるだろう。

安倍昭恵は「右」なの?「左」なの?(プチ鹿島のコラムを読んで)

 文春オンラインに、プチ鹿島の「森友学園の『昭恵夫人』とは一体何者だったのか? ~スポニチ『アッキー 人ごとボヤッキー』が示すもの~」というコラムが掲載されている。

 首相夫人の安倍昭恵は、かねてから「家庭内野党」「旦那と違ってリベラルな人」などと言われていた。しかし今回の森友学園問題で、“極右”の塚本幼稚園を賛美するなどしていたことが取り上げられ、改めて立ち位置が議論されているわけだが、プチ鹿島は、「昭恵夫人が家庭内野党だというのは幻想だ」と断じて、次のように述べている。

“昭恵夫人は「籠池先生の教育に対する熱き想いに感銘を受け、このたび名誉校長に就任させていただきました。」とか「瑞穂の國記念小學院は、優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てます。」と、森友学園のHPでメッセージを寄せていた(現在は削除)。

 ここまで強烈に支持しているのだから、それはもう脇が甘いのではなく心からの賛同であり協力だ。思想は自由だからよいのだけど、今回私が痛感したのは次のことだ。

  今までメディアは昭恵夫人を「家庭内野党」だとか「リベラル」などと呼び、少なからぬ人々がそう思ってきた。

 でも、今回の森友学園の件で、それは幻想っぽいことがわかったのではないか。昭恵夫人のなんとなくのイメージだけが先行していたのだ。

 安倍首相は「印象操作しないで」とよく批判するが、ご自分の奥さんが結果的に最も印象操作に成功していたとも言える。”

 つまりプチ鹿島が言いたいことは、「安倍昭恵夫人は、安倍晋三と同じく“極右”だ。その理由は、森友学園の教育を賛美する言動をしていたからだ。」ということだろう。

 これは安倍昭恵の実際の言動から安倍昭恵の思想を判断しているわけで、一応筋が通っているように見える。

 しかしよくよく考えてみると、このプチ鹿島の論法は、おかしくないだろうか?

 今回の騒動の前に、安倍昭恵が「家庭内野党」「リベラル」と呼ばれていたのも、やはり安倍昭恵の言動が理由になっていたはずである。第三者が根拠もなく勝手に妄想で「安倍首相夫人はリベラル」だと思い込んでいたわけではない。

 もう少し具体的に言おう。

 たとえば、左寄りのメディアである「リテラ」の2015年4月7日付記事「衝撃! 安倍昭恵が夫とは真逆の学者・姜尚中と仲良く…原発や日韓問題でも意気投合」で、安倍昭恵が姜尚中と対談していたことを取り上げている。そこで安倍昭恵は、脱原発について触れたり、「日韓中は兄弟のようなものだ」と述べたりしている。

 また同じ「リテラ」の2016年の別な記事によると、安倍昭恵は青木理のインタビューに応じ、「戦争をするときには、私を殺せ」と夫に向かって言ったと語っているという。

 安倍昭恵が「リベラル」扱いされてきたのは、まさしく安倍昭恵自身の言動が根拠だったのである。
 森友学園を賛美したのも、脱原発や日中韓の友好や戦争反対を主張したのも、いずれも安倍昭恵本人の言動であることに変わりはない。

 それでは、どちらの言動を基準にして判断すれば良いのだろうか。安倍昭恵は“極右”なのか、それとも“リベラル”なのか?

 結論をいえば、身も蓋もない話だが、それは、安倍昭恵を取り上げる論者の都合によって決まるのである。 

 安倍昭恵が右か左かを議論する論者は、どっちにしても、安倍晋三を批判するネタとして取り上げるにすぎない。
 つまり、どちらの方が安倍政権を批判するうえで都合が良いかで、安倍昭恵が右か左かが決まるのだ。

 安倍昭恵が「左」であるほうが、安倍政権を攻撃するのに都合が良い場合は、安倍昭恵は「左」である。「昭恵夫人は脱原発や戦争反対を主張しているのに、夫の安倍首相は、なぜ原発を推進し、安保法制を強引に制定するのか」というふうに主張するのだ。

 逆に安倍昭恵が「右」であるほうが、安倍政権を攻撃するのに都合が良い場合は、安倍昭恵は「右」になる。「昭恵夫人は、異常な“極右”の森友学園を賛美して、そんな連中が作ろうとする小学校の名誉校長に就任した。夫婦揃って異常な極右だ、けしからん」というふうな議論になるのである。

小池百合子を推して安倍政権にダメージを与えたいというのが朝日新聞の思惑?

豊洲移転問題が迷走しているにもかかわらず、マスコミの多くは、依然として小池知事に対して比較的好意的なスタンスを取り続けているように見える。

 ところで本日の朝日新聞(ニッポンの宿題)というオピニオン記事(一定のテーマについて、2名の論者のインタビューを掲載するシリーズ)で、「『安全』と『安心』」と題した記事を掲載していた。インタビューに答えたのは、岸本充生(東京大学大学院特任教授)と吉田省子(北海道大学大学院客員准教授)である。
 インタビューの内容は、豊洲問題についてはわずかに名称を持ち出しただけでほとんど触れておらず、あとは概ね当たり障りのないものだった。
 
 ただ「安全と安心」という二分論的な図式をこの時期にわざわざ取り上げて議論のテーマとすること自体、ある意味では小池百合子に対する援護射撃的な効果を持つものだと言えるのではないだろうか。
 小池知事は「安全」と「安心」を分けて考えるべきだという論法を取っており、豊洲市場について「法令上の安全性は確保されているとしながらも、消費者の信頼が得られていないとして安心だとは言えない」と述べ、専門家による検証などを踏まえて総合的に判断するという説明をしているからである。

 豊洲移転問題そのものについてはここでは深入りしないが、なぜここまでマスコミは小池百合子を持ち上げるのだろうか。特に政治的傾向が明らかに異なる朝日新聞が小池百合子をなぜ否定的に扱わないのか。
 他のメディアはともかく朝日新聞の場合、ただ単に小池百合子の“劇場型”政治が面白くて記事や番組が盛り上がるとか、そういうだけの理由ではないだろう。

 これは、7月に予定されている都議会選挙で小池知事派が躍進して自民党が議席を減らせば、安倍政権に対するダメージというかブレーキになるだろう・・・という思惑があるからではないか。「都議会選挙までは小池百合子のイメージダウンを避けるようにしよう」「小池派が伸びれば、安倍政権が困るだろう」などという傾向というか空気が朝日新聞社内にあるのではないだろうか。

 さらに付け加えると、小池百合子はメディアを取り込むのがうまい。といっても、安倍首相のように、メディア各社の幹部が呼んで赤坂で会食するなどというやり方ではなく、メディアの現場レベルが喜びそうな「絵」「図」を作ってやって、自分の味方につけるのが巧みなのである。

 橋下徹はメディアに噛みつき喧嘩したが(それ自体がメディアのネタにもなるのだが)、小池百合子はメディアには噛みつかず、味方にしてしまうわけだ。

自民党政治を脅かす者は自民党的なものの中からしか生まれない?

文春に「安倍一強の最大の敵は、民進党ではなく小池百合子」という記事が掲載されている(筆者は赤坂太郎)。

この記事の内容にはここでは立ち入らないが、最近に限らず1990年代以降の日本の政治の動きを見ていると、自民党の既存の体制を脅かす新たな勢力は、結局のところ、自民党的なものの内部からしか生まれてこないように思われる。

というより、自民党やそれに近い系統の政治家が、自民党の中の古い既存の体制のようなものを叩くことにより、大衆世論の支持を取り付けて勢力をつけてのし上がる・・・という手法が、既にパターン化してきている観がある。

一番典型的なのが、自民党の政治家でありながら、「自民党をぶっ壊す」といって支持を集めて強い政権を確立した小泉純一郎である。

最近でいえば、最初に触れたように、小池百合子である。都知事選で改革を訴え、旧来型の自民党の候補を破り、今も都議会の古い自民党勢力などを叩くことで、世論にアピールしているのは言うまでもない。

さらに、都政で現在やり玉?に挙げられている石原慎太郎自身、やはり「古い自民党的なもの」を非難するような立場で都知事になったのであって、このことは今となっては歴史の皮肉と言えるかも知れない。

それ以外の政治勢力でも、維新、さらにさかのぼって旧みんなの党などにそういう側面があった。

良いか悪いかは別として、今後も、「自民党的なものの中にいた人物が、“改革”を訴えて、古い自民党の体制を攻撃して見せることにより、支持を集める」という手法がしばらくは続いていくように思われる。
リベラル的な勢力が自民党を倒す」というのではなく、「自民党から出てきた反逆児が、古い自民党的なものを倒す」というドラマの方が好まれるということだろうか。

今回の東芝危機は「事なかれ主義」ではなく「リスク取りすぎ」の問題である

東芝の経営危機については、毎日のようにメディアで、新たな(真偽定かでないものも含め)情報が報道されたり、論者がコメントを出したりしている。

最近でも、宋文州が、「東芝問題の裏に隠された本当の問題」というコラムで、東芝の問題は、日本企業全般に共通する体質の問題であり、リスクを嫌い組織に安住するような風土が根底にあると述べていた。

東電、東芝、シャープ、ソニーなどの名門にいる社員達は「自分が誰か」よりも「自分がどこに属するか」のほうが大切です。自分がどう生きるかではなく、どうやって無事に退職できるか、どうやって組織内のピラミッドをよじ登るかが彼らの目標です。

辞める人がいないため、東芝で中途採用の社員に会ったことがありません。話によると東電の約5万人の社員にも中途入社の社員は一人もいなかったそうです。自社しか知らない、自社にしか適応できない社員の中から誕生した社長が、大きな井の中の一番大きな蛙であり、ガラパゴス島の王者です。人脈が広いが、視野が狭い。順風に強いが、逆風に弱い。気が大きいが、肝が小さい・・・。”

“・・・これは中小企業を含む多くの日本企業の共通点です。経営目標実現のための法律相談よりも、保身のための法律相談が多いのです。中小企業なのに海外企業との契約書の審査に数週間もかける現実をみて、私は呆れてもう彼らにビジネスを紹介する気にもなりません。

・・・リスクを嫌う日本的経営者が弁護士や専門家に回避対策を求めているうちに、経営リスクがどんどん次のリーダーに先送りされます。このリスクのリレーがやがて限界に達して爆発してしまうのです
。”

宋文州の指摘するような体質が東芝、ひいては多くの日本企業に存在することは事実だろう。

ただし現在の東芝の危機は、これとはまた別次元の問題としてとらえるべきである。西田社長時代に米国の原子力メーカー・ウェスチングハウス社を買収したこと(それも行きすぎた高額で)、さらに米国の原発建設工事を積極的に受注したことがその危機の原因である。

西田社長時代はこの件に限らず、東芝にしては、リスクを避ける事なかれ主義どころか、逆にかなり積極的にリスクを取る大胆な経営をしていたので、それが裏目に出たということになる。

宋氏の「日本企業は遅いし、リスクを避けたがる」という論評は、それはそれで一般論としては当てはまるし、東芝もそういう体質は極めて強い会社ではあるのだが、目下の東芝の危機はそれとは別・・・というよりむしろ逆であって、無謀なリスクを冒したことが原因である。

(敢えて付け加えれば、リスクを冒したのがダメというより、リスクを冒したあとの状況変化への対応がまずかった、ということになるだろう。)

宋氏のこの記事は、比喩的にいえば、交通事故で倒れた患者を前にして、糖尿病や高血圧などにからむ慢性的な問題についての体質改善の一般論を議論しているようなものである。糖尿病や高血圧はもちろん何とかしなければならない問題であり、それを指摘するのは確かに有意義なのだが、交通事故は交通事故で、それとは違う次元で検討しなければならない。

アンケート実施!あなたはいくつ「YES」がありますか?(世代毎の政治的体験の傾向)

 「日本は保守化している」とか「若者は右傾化している」という主張がメディアに出てくることがある。
 この主張が正しいかどうかは置いておいて、一般的にいって、政治的な考え方の傾向には、個人間の差だけでなく世代ごとの差もあるだろう。
 「考え方」の違いだけでなく「感じ方」の違いというものもある。
 「考え方」の違いは、論理的に話し合えば、少なくとも何が違うのかについては理解できるのだが、「感じ方」の違いというのは、言葉に言い表されにくいので、なかなか自覚できず、表に出てこない事が多い。(たとえば「日の丸は美しくて日本の国旗にふさわしい」とか「国旗として違和感を感じる」とかいうのは、「感じ方」の問題である。)しかし「感じ方が違う」ということ自体が自覚できていないと、お互いに話をしても噛み合わないことが多いものである。

 このように世代ごとに「感じ方」「考え方」が違うのは、時代ごとの共通の体験が違うことが大きな要因だと思う。

 そこで、政治的な考え方・感じ方に影響を与えているのではないかと私が勝手に考えた時代の特徴のようなものをピックアップして、アンケート風の質問形式にしてみた。

 このブログを読む皆さんは、お暇だったら、以下の質問に対して自分なりに「YES/NO」で答えてみて欲しい。(もちろんその回答の結果をどこかにインプットとか送付してくれというのではない。)

 念のため申し上げておくと、これらの質問は、政治的な意見を尋ねるものではなく、政治的な意見に影響を与えていそうな過去の体験等の有無について尋ねるものである。

 仮に統計を取って世代毎の傾向を調べて見た場合、年上の世代ほど「YES」が多くなるだろう。若い世代が右傾化や保守化しているかどうかはともかくとして、そのような違いが、世代ごとの政治的な考え方の違いに対応しているのではないだろうか。

以下、質問項目:

1.共産圏(社会主義諸国)というものがあった時期を経験しているか?

2.下記のような主張をする文章を読んだ(または発言を聞いた)ことがあるか?

 ①「社会主義諸国は資本主義諸国より優れている」

 ②「発展途上国の人々は先進国に抑圧されている。これを解放しなければならない」

 ③「中国(中華人民共和国。以下同じ)の方が台湾よりも政治・経済面で優れている」

 ④「中国は、資本主義とは違う新しい経済・社会・文化を作り上げることができる国家だ」

 ⑤「北朝鮮の方が、韓国より優れた政治体制の国家だ」

3.以下の用語を何かの機会に見た(または聞いた)ことがあるか?

 「第三世界」「アメリカ帝国主義」「植民地主義」「自力更生」「造反有理」「民族自決」「金権政治」

4.中国と(旧)ソ連が激しく対立していて、中国が日本に対して友好的な態度を取っていた時期があったことを知っているか?

5.「自衛隊は存在すること自体がおかしい。廃止すべきだ」という意見を持つ人(自分自身でも可)が身近にいたことがあるか?

6.「保守」の反対語として、「革新」(注:「リベラル」ではない)という言葉を聞いたことがあるか?

7.「自民党政権は派閥のバランスで成り立っており、特に“田中派”の力が強い」と言われているのを聞いたことがあるか?

8.台湾がかつて国民党の一党独裁政権に統治されていた時期を知っているか?

9.韓国がかつて軍人出身の独裁政権に統治されていた時期を知っているか?

10.「天皇」という言葉を聞くと、すぐに、昭和天皇や第二次世界大戦(太平洋戦争、大東亜戦争)を連想するか?

11.日の丸が掲揚されたり君が代が歌われているのを見聞きすると、違和感を感じたり、第二次世界大戦を連想するか?

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