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「解雇ルールの明確化」なんて本当にできるの?

 「解雇に対する規制が厳しいおかげで日本企業は解雇が難しい」という類いの主張がウソであることは繰り返し述べた。いろいろな意味で解雇が「難しい」のは事実だろうが、それは「解雇規制」のせいではなく、企業自身がめったに解雇しない前提で雇用をしてきたからにすぎない。
 単純化していえば、よほどのことがない限り解雇しない前提の労働契約をしているのだから、よほどのことがない限り解雇できない(裁判で解雇が認められない)のは、ごくごく当たり前のことである。

 ところで、「解雇規制緩和」のかわりに「解雇ルールの明確化」という言い方をする論者もいる。

 「どのような場合に解雇ができるのか、現在ははっきりしない。国が解雇ルールを明確にするべきだ」というわけだが、この主張は「現状では解雇しにくい。だから解雇ルールを明確にして解雇しやすくしてほしい」という意図が前提になっている。
(その逆に「現状ではいい加減な解雇が横行しているので、解雇できる場合をルールで制限してほしい」といっているわけではないことに注意。)

 解雇ルールといえば、労働契約法16条の「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。 」という定めが重要だが、「この条文だけでは、『合理的な理由があって、社会通念上相当であると認められる解雇』はどういうケースなのか、よくわからない。明確にしてほしい」というわけだ。

 ここでは、個人の職務遂行能力が不足していることを理由にして解雇する場合を例として考えてみよう。

 まず、現在でも職務遂行能力の不足を理由にした解雇が認められた裁判例はある。従って、仮に国がおおざっぱに「職務遂行能力の不足を理由にした解雇は認められる」というガイドラインなり法令なりを制定したところで、それだけでは何も解雇ルールが明確になったことにはならない。裁判例を後追いで整理したものでしかない。

 そもそも世の中一般に、職務遂行能力が「十分」な従業員などあまり多いわけでもないだろう。「職務遂行能力が不足している」というだけではあまりにも漠然としてつかみ所がない。
 問題は、具体的にどの程度まで職務遂行能力が足りなければ解雇が認められるのか、である。

 もちろんそんな細かいことを国がいちいちガイドラインや法令で決められるわけがない。「営業担当者が連続6ヶ月間目標達成できなかったときに解雇する場合は、その解雇は合理的で社会的に相当である」などと国が個々に決めるわけにもいかないだろう。

 そうなってくると、結局のところ、個々に企業が自分で決めるしかなくなってくる。「解雇ルール」を明確にしなければならないのは、実は国というよりも、企業自身なのだ

 たとえば企業が「職務遂行能力が不足している」ことを理由に解雇するならば、その「職務」とはそもそも何なのか、何をやるべきなのか、どこまで達成できれば良いのかも明確にしなければならない。

「解雇ルールを明確にする」ということは、職務の内容や達成目標も個々に明確にしなければならないことになる。やや極端な言い方をすれば、解雇ルールを明確にするためには、仕事に関するすべてのことを明確にしなければならなくなるのだ

 すべてを明確化すれば、確かに解雇ルールも明確になっていくのかも知れない。

 問題は、一般的な日本企業は、そういう厳格な明確化になじむのかということである。物事をあまり明確にしすぎない、いろいろな意味での曖昧さや柔軟さが日本企業の強みと言われてきた(今も言われている)のではなかったか

 そして、職務範囲を明確にするということは、その範囲以外のことはやらなくても良いということを意味する。たとえば「こいつは決められたことしかやらないからクビ」というわけにはいかない。それこそ解雇ルールの明確化の発想とは真っ向から矛盾してしまう。やるべき仕事の範囲をはっきり線引きしたうえで限定しなければ、「明確化」とはいえないからである。

 とはいえ「従業員は、決められた職務の範囲や達成目標に限定しないで、もっと幅広くがんばってもらいたい」というのが多くの経営者の願いというかホンネだろう。だが、解雇ルールを明確にして解雇しやすくなることを目指すような企業で、そういうことが期待できるのだろうか。企業は、いろいろと強みになってきた曖昧さや柔軟さを捨ててまで、そういうことをやりたいというのだろうか。

 なお、解雇ルールが明確になったからといって、解雇をめぐる訴訟がなくなるわけではない。その解雇ルールの解釈について争いが起こる可能性は常に残るからである。
 たとえば「〇〇の場合には解雇できる」という明確なルールがあって、それに従って会社が従業員を解雇したとしても、そもそもその「〇〇の場合」にあたると言えるのかどうかについて見解が合わなければ、最終的には訴訟で決着をつけるしかない。

「解雇規制で正社員の既得権が守られている」というのは、半分はウソですよ

 しつこいようだが、「『解雇規制』って、本当に存在するの?」から始まる一連の「解雇規制」論批判シリーズの続きである。

 「解雇規制は、正社員の既得権を保護しているだけだ。現在雇用されている者を保護してはいるが、現在失業している者のチャンスを奪っている。
という主張もよくなされることがある。たとえば、経済学者の大竹文雄教授のような論者が挙げられる。

 この主張は、半分は正しく、半分は間違っていると思う。ここでも一応はまだまだ終身雇用・長期雇用が維持されている大企業を前提として考えてみよう。

 かなり単純化して考えた場合の話であるが、たとえばある会社で現在雇用されている1人の正社員が、定年まで 解雇されることなく勤続が保証されているとすれば、そのせいで、失業している別の誰かがその会社に就職できないでいる…と言えなくはない。

 その意味では、確かに「現在雇用されている者が保護されていることは、失業者のチャンスを奪っていることになる」という主張は一理ある。

 しかしこれは、解雇規制のせいでそうなっているのではなく、もともと企業が、原則として定年まで解雇しない(暗黙の)契約(終身雇用、長期雇用)を締結しているからにすぎない。

 企業は、解雇規制があるために嫌々ながら「定年まで解雇しない契約」を締結しているのではなく、自分からそのような契約を選んでいるのではないか。

 上に挙げた解雇規制緩和論者である大竹文雄教授自身も、『労働経済学入門』(日経文庫)の中で次のように述べている。(*注)
 「終身雇用という言葉は、誤解を与えやすいものです。文字どおり死ぬまでの雇用を保証するような雇用契約ではないことは、明らかです。定年までできる限り長期間雇用を保証しようという暗黙の契約というのが、より正しい解釈でしょう。」(同書98頁)

 このように、原則として定年まで解雇しない契約なのだとすれば、原則として定年まで解雇できないのは当然の帰結である。解雇しようとして裁判になっても、裁判所は、その原則を覆すだけの根拠がなければ解雇を認めないだろう。大竹教授のいうように「できるだけ長期間雇用を保証する契約」なら、まず会社としては解雇を避けるために「できるだけ」の努力をしなければならないことになる。それをしないで解雇するならば、労働契約法16条で定めるように、合理性・相当性を欠き、解雇権の濫用として無効ということになる。

 これは、わざわざ「解雇規制」と呼ぶほどのことだろうか?

 たとえば「家賃を払う限り60歳まで貸家に居住できる賃貸借契約」を締結したら、貸主が途中で勝手に解約して借主を追い出すことなどできるわけがない。(借地借家法のことはここでは度外視する。)その間、他の人間は貸家を借りることはできないが、それは当然のことである。
 これらは「規制」のせいでそうなっているのではなく、もともとそういう契約を貸主が選択したからである。もちろん家賃の支払いを怠ったり、家を荒らしたりすればまた話は別である。

 この「60歳まで貸家に居住できる権利」は、「既得権」なのだろうか。
 そう呼ぶのは勝手だが、それをいうなら、契約上の権利はすべて「既得権」ということになる

 たとえばある建物について5年間の賃貸借契約を結べば、5年間は他の人間は入居できない。それを「5年間の既得権」と呼ぶ意味があるのだろうか。
 ある知的財産について10年間の独占的ライセンス契約を締結すれば、10年間は他の者はそれを利用できない。それを「10年間も既得権が保証される。けしからん」という人がいるだろうか。

 おわかりだろうか。

 「解雇規制で、正社員は長期間の雇用が保護されている」のではない。もともと正社員とは、長期間の雇用契約なのだ。
 解雇規制があろうとなかろうと、契約が保護されるのは当然の結果なのである。

  (実をいうと、ここでは法律論としてはちょっと乱暴で突っ走った議論をしている。最高裁判例では、「終身雇用の暗黙の契約を締結した」ということを正面から認めるのではなく、「終身雇用の期待の下に期間の定めのない労働契約を締結している」という、より慎重で間接的な表現を使っている。法律上の概念としての「期間の定めのない労働契約」とは、「終身雇用」とイコールというわけではない。最高裁は、そこに「終身雇用の期待」という微妙な表現をプラスしているのだ。
 これに対して、むしろ経営学者や経済学者の方が、法学者や法曹よりもストレートな形で、「終身雇用(長期雇用)の暗黙の契約」が締結されているということを正面から堂々と強調してきた観があるのだが、今となっては感慨深いものがある。)

  なお念のため断っておくと、私は、何がなんでも正社員を解雇してはならないとか、解雇しやすい世の中になってはならない、とまで言い張るつもりはない。「解雇しにくいのは解雇規制のせいだ」「解雇規制で既得権が守られている」という類いの不正確な主張を批判しているだけである。

  「とにかく正社員の保護を縮小させた方が、失業者や非正社員にも新たな雇用のチャンスを与えることになるから、格差の是正につながる」という議論は、賛否はともかくとして一応検討に値するとは思うが、これは解雇規制というより、企業自身がどのような労働契約を締結して働かせるかという観点で考えるべきである。解雇しにくい労働契約ならば裁判で解雇は認められにくい。解雇しやすい労働契約ならば解雇は認められやすい。当たり前の話ではないか。

 それでは、解雇しやすくするためにどうすれば良いか。ここでも乱暴で大雑把な言い方をしてしまえば、企業が、定年までの雇用を保証しないことを明確にした契約を締結すれば良いのである。(これは必ずしも半年や1年の短期の契約という意味ではない。)

 まず企業が、新卒採用向けの説明会で、学生に向かって「定年までの雇用を保証するものではありません」「働きが悪ければ解雇されることがあります」「働きが良くても事業の都合により整理解雇される場合があります」ということを説明し、納得してもらい、定年まで保証するものではないことがはっきりわかるような労働契約を締結するようにするべきである。

 (もっとも、ここまではっきりした方針を示すような企業であれば、新卒の大量採用をするかどうかは怪しい。中途採用でかなり用が足りるからである。さらに「定年までの雇用を保証するものではない」ということなら、そもそも「定年」さえ必要なくなるだろう。定年とは、継続的な雇用が保証される最終的な年齢の限度のことだからである。)

 このようにしたとしても、たとえば企業が「働きが悪い」従業員を解雇した場合に、「本当に働きが悪かったのかどうか」が裁判で争いになる可能性はある。しかしそれは「解雇規制」の問題ではないだろう。

 また、解雇しやすい企業になることができたとしても、それは現在の日本企業の持つ様々な「強み」とされている要素も失うことを意味すると思うが、それはまた改めて検討したい。

(*注)この大竹文雄教授の『労働経済学入門』は、1998年4月に刊行されているが、興味深いことに、「解雇規制」という用語はこの著書の中で一度も使われていない。そのかわりに、「解雇不自由の法的状態」という言い方をしている。少なくとも「解雇規制」よりはよほどマシな用語法である。と同時に、「解雇規制」という用語が(30日前の解雇予告や労災休業中の解雇禁止などの限られた意味ではなく)一般的に使われるようになったのが、かなり最近の現象であることを示唆しているのではないだろうか。

「解雇規制」などという言葉を使わない『ゼミナール経営学入門』

 「解雇規制」論について、さらに付け加えてみる。

 ここで一冊の本をちょっと見てみよう。伊丹敬之&加護野忠男著『ゼミナール経営学入門』(日本経済新聞出版社)である。
初版は1989年で、2003年に改定されて現在も販売されている。今手元にあるのは2003年版である。

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(2003年は、日本的経営に対する疑問が既に強くなっていた時期で、日本的経営の強みを述べる著者の言葉も、どこか歯切れの悪さが感じられる。おそらく1989年版はかなり違った感じなのではないかと思うので、いずれ手に入れてみたい。)

 さて、伊丹敬三教授や加護野忠男教授といえば、日本的経営の強みを強調してきた経営学者として知られているが、この著書では、「解雇規制」についてどのように述べているだろうか。
 「解雇規制を緩和すべきだ」などとは言っていないだろうということは、読む前から想像できる。それでは逆に、「解雇規制が日本企業の強みを作ってきた」とでも主張しているのだろうか。

 そうではない。

 この本の中には、「解雇規制」という言葉は一度も出てこない。
 2003年時点では、「解雇規制」という言葉が経営論の文脈で使われること自体、まだあまり無かったのかも知れない。
(もちろん一般的な用語として「解雇規制」という言葉が世の中で使われることはあっただろうが、おそらくこの頃は「労災休業中の解雇は規制される」とか「解雇するには30日前に予告しなければならない」などの個別の規制が主に意識されていたのかも知れない。)

 この『ゼミナール経営学入門』の227頁を見てみると、こんな一節がある。

日本企業は…雇用構造の選択を、実際にはどのように行ってきたのだろうか。
…一般的に、日本的経営の三種の神器といわれるものがある。終身雇用、年功序列、企業別労働組合、の三つである。
…終身雇用とは、正規の従業員として採用された場合に、経営上の大きな困難や従業員の大きな不手際がないかぎり、厳密に言えば定年まで雇用されるという暗黙の契約である。
…こうした雇用構造を選択すると、さまざまな労働市場との対応の特徴が生まれる
。」

おわかりだろうか。この著書によれば、終身雇用(長期雇用)とは、日本企業が「選択」したものなのである。

企業が自分の意思で「経営上の大きな困難や従業員の大きな不手際がない限り…定年まで雇用されるという暗黙の契約」を、従業員と締結したと考えているのだ。

そうだとすれば、「よほどのことがない限り、定年まで雇用されるという契約」があるのなら、「よほどのことがない限り、裁判になっても、解雇が認められない」というのも当然のことである。

要は、政府が勝手に「解雇規制」をしているわけではなく、企業が自分で「終身雇用」「めったに解雇することがない契約」を「選択」してきたということである。

 この『ゼミナール経営学入門』の分析が的確かどうかはさておき、2003年時点では、「国が解雇規制をしているので企業が困っている」という類いの論法は、一般には広まっていなかったということがわかる。それどころか、おそらく「解雇規制」という言葉すらあまり使われていなかったのだ。
 それは当然のことである。日本企業は、めったに「解雇」しないという雇用構造を自分の意思で「選択」し、その強みを利用してきたというのが、こういう経営学の観点だったのだ。「企業が解雇規制を押しつけられている」などという発想が出てくるはずがない。

 ただ驚きなのは、少し前まで、そういう経営学の著作が(妥当な観点かどうかはさておき)広く世間で読まれていたのに、もうそういう時代を忘れ去ったかのように、「解雇規制で日本企業が困っている」という論調が普通に通用しているということである。

正社員の「解雇規制」なんて存在するの?

 さきのエントリの続きで、今度は整理解雇を念頭において考えてみよう。
 企業が無能(?)なX氏を解雇するケースではなく、経営上の理由で労務を調整するために整理解雇をしようとするケースである。有能だろうと無能だろうと、一定の従業員を解雇して人減らしをしたいと考えているとしよう。 これはなかなか裁判で合理性が認められにくいのは事実である。

 深くは立ち入らないが、裁判例では、整理解雇の4要件というのが一般に知られている。
 ①人員削減の必要性があること、②人員削減の手段として整理解雇を選択する必要性があること、③解雇対象者の選び方が妥当であること、④手続(労使の協議や労働者への説明など)が妥当であること、である。これらの4つの要件(4要素という言い方をする論者もいる)に基づき、整理解雇が有効かどうかを裁判所が判断してきた。

 こういう状況について「日本の正社員は解雇規制が厳しくて整理解雇が難しく、契約社員に比べて保護されている(ので規制緩和すべきである)」という評論家やエコノミストの論調をよくみかけるが、これは原因と結果を逆にした勘違いではないだろうか。

 主要な日本企業(規模の大きな企業)は長年、職務も勤務場所も(そして実質的に労働時間も)無限定で長期雇用を前提とした年功的賃金体系の雇用を行ってきたことは周知のとおりである。
 ある程度の大企業に勤務した経験がある人なら、思い出してみてほしい。就職活動をしていた時に、「不況になったら人員調整で整理解雇することもあるけど、いいね」と学生たちに説明して、納得のうえで労働契約をする大企業などあっただろうか。どこもかしこも、長期的に勤務する前提の話しかしてこなかったではないか。
 年功賃金の体系はだいぶ崩れてきているとはいえ、まだまだ多くの主要企業の賃金や退職金や福利厚生は、いつ解雇されても変わらないような水準ではなく、長期勤続してはじめて上がっていく前提のシステムである。
 要するに主要な企業は、滅多なことでは解雇せず、長期的に働いてもらう前提で人を雇用して、そういう従業員を「正社員」と勝手に呼んでいるだけのことである。
 おわかりだろうか。政府が「正社員」を守るために「解雇規制」をしているわけではない。企業が、「滅多なことでは解雇しない条件の従業員」を自分で勝手に採用して、それを「正社員」と呼んでいるだけなのだ。

 そうだとすれば、いざ「正社員」を解雇しようとして訴訟になった時に、裁判所になかなか「解雇の合理性」を認めてもらえないのは当然のことだろう。
 もともと滅多なことで解雇しない前提で(労働時間や担当職務も柔軟に対応することを含んで)雇用したのだから、滅多なことで解雇が認められないのはごくごく当たり前の帰結である。

 少々単純化していえば、「整理解雇」の要件が非常に厳しいのは、根本的にはこれが理由といえる。裁判所が、さきに紹介した「整理解雇の4要件」に照らして整理解雇の有効性を慎重に判断するのも、別に勝手な思いつきでやっているわけではない。
 
 「日本では、企業が倒産の危機にでもならないと、裁判所が整理解雇を認めてくれない」とか「採算の悪い事業を切り捨てて大胆に事業再編しようとしても、整理解雇が難しい」というのも、何も不思議ではない現象なのだ。

 どこの企業が、新卒説明会で「事業の採算が悪い場合は、あなたの働きの良し悪しにかかわらず、整理解雇します」と学生たちに説明しているのだろうか。それこそ倒産の危機に出もならない限り首にされることはないという前提の話しかしていないのではないか。

 また「A事業の採算が悪くなって切り捨てたくても、整理解雇が難しい」というのも当然である。採用する時に「A事業(の●●の職務)だけを担当する」という契約で採用したのだろうか。そうではないだろう。だいたいの正社員は「なんでもやらせる」(職務無限定)という前提で採用しているのだ。「なんでもやる」従業員として採用したのなら、「A事業がつぶれても他の事業をやらせれば良いから、解雇までする必要はないではないか」と言われると反論できないのである。  

 これに対して、最初から「一定の契約期間だけ雇用する」という前提で雇用するのが「契約社員」である(契約期間の更新はありうるとして)。
 契約社員は正社員より解雇規制が緩やかだというよりも、もともと短期の契約期間を区切って雇用しているから(いわゆる「期間の定めのある労働契約」)、その契約期間を更新しなければ原則としてそこで終わりとなる。(近年の労働契約法の改正については、ここでは触れないでおく。)

 「正社員の方が規制により保護されている」とか「正社員の解雇規制は厳しいので、切り捨てやすい契約社員で労務を調整する」というのは、正確な言い方ではない。
 企業が最初から「滅多に解雇しないつもりの従業員」と「短期契約だけでおわりにできる従業員」の二種類に分けて採用して、前者を正社員、後者を契約社員と呼んでいるだけのことなのだ。

 (追記:ここまで述べたら、あとはいわゆる「解雇の金銭解決」の問題についても触れた方が良いと思うが、これは機会を改めてのことにしたい。)

「ノー残業、楽勝!予算達成しなくていいならね。」

地下鉄の霞ヶ関駅に、このような広告ポスターが貼られていた。

「ノー残業、楽勝!予算達成しなくていいならね。」

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従業員に業務の負荷がかかっている現状を放置して、単に「残業を減らせ、早く帰れ」と叫んだところで何の意味もない、ということで、端的にホンネというか実態を述べているコピーである。

肝心の広告対象の商品についての紹介は、下の方に「ルールだけでなく、ツールで新しい働き方を  キントーン」と書いてあるので、事務処理を効率化するシステムについての宣伝なのだろうということは見当がついたが、「キントーン」とは何のことかわからず、調べて見たら、どうやらサイボウズ株式会社の商品らしく、「ビジネスアプリ作成プラットフォーム」ということらしい。

 それはそうと、私自身、某大手メーカーの人事・労務部門にいた頃の「ノー残業デー」のことを思い出した。会社は毎週水曜日を「ノー残業デー」と決めていて、やむを得ず残業する部署は、「残業申請書」を人事・労務部門に提出する。(人事・労務部門としては、この「残業申請書」を労組にも見せる。)
 ところが、ノー残業デーなどお構いなしに客先への対応業務は頻繁に発生するから、結局のところ、各部署から出てくるこの「残業申請書」はかなりの量になる。さらに急に残業せざるを得なくなる者も常にいて、そういう場合は事後提出せざるを得ない。
 そんなこんなで、「残業申請書」の作成提出自体が、各部署にとっては結構時間をとられる作業になっていたのである。

(追記)念のため調べてみたら、このサイボウズの広告は、既に3ヶ月ほど前に品川駅の電子看板で掲示されて、ネットなどでも話題になっていたようである。滅多に品川には行かないので気づかなかった。地下鉄の霞ヶ関駅にポスターとして貼り出されたのは、比較的最近なのかも知れない。

日本企業の社内行事と社内成人式

 ご存じのとおり、日本企業の社内行事にはいろいろなものがある。会社の運動会や社員旅行については、次第に敬遠されて廃れているとか、逆に最近では見直す動きが出てきたなどの話をよく聞く。
  たとえば西日本新聞のこの記事は、社員旅行の新しい形の例を紹介している。
  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170620-00010002-nishinpc-soci

 それでは、「社内成人式」については聞いたことがあるだろうか。

 社内運動会や社員旅行に比べると、社内成人式はあまり話題にならない。これは、対象者が、会社に勤務する立場で20歳を迎える人だけに限られるということがあるのだろう。つまり実質的には、中学卒か高校卒で採用された人だけなのである。

 私自身の経験でいうと、大手メーカー勤務時代、社内成人式を行う側の仕事をしたことがあった。総務とか人事の担当者の役目である。

 社内成人式は全社一括ではなく事業所ごとに実施することになっていて、大規模な工場では、バブル時代に1年で数十人もの高卒新人を、事務部門でも製造部門でもひっくるめて採用したことがあり、そんな若者たちが採用から2年後になると成人式の対象となるわけである。

 成人式は労使共催の形で行った。工場の食堂を飾り付けて飲食を準備し、工場長と労働組合の支部委員長がそれぞれ祝辞を述べ、さらにパーティーやビンゴゲームなどをしたりするのだった。ゲームの企画は、労組の青年部に頼んでいた。

 イベントを企画するというのは私は性格的に苦手で、毎年、この季節が迫ってくると、胃袋に穴があきそうになるほど緊張したものである。とはいえ、若い人たちが盛り上がるのを見るのは楽しかった。

 このように社内で成人式を行うという発想は、ただ単に18歳で就職して20歳を迎えるというだけでなく、高校を出て社会に出た若者に、マナーや社会常識を教育するという機能までも会社が持っていたことのあらわれだろう。
 高校を卒業した新人にとって、会社は、別な意味での「上級学校」の役割を果たしていたのである。

 その後、日本の大手メーカーの一般的な趨勢には逆らえず、この会社も、全国にあった工場は次々に閉鎖されて減り、残された工場の中でも製造部門が減って開発設計の比率が高くなっていった。
 さらに製造部門でも事務部門でも、正社員から請負や派遣に置き換えが進んで、高卒新人の採用はどんどん減らされていった。

 今でもその会社が社内成人式をそれぞれの事業所で行っているのかどうかは知らない。

東芝が自社株購入呼びかけ

共同通信の記事によると、東芝が社員に「持株会」で、自社株の購入を呼びかけたという。

記事によれば

経営再建中の東芝が、東京証券取引所による「監理銘柄」の指定で上場廃止の恐れが指摘される中、社員向けに自社株購入を呼び掛けていたことが21日、分かった。自社株を保有する社員の多くは、系列の米原発会社の経営破綻などを背景に株価低下で含み損が出ており「会社のモラルを疑う」と反発している。

 東芝関係者によると「東芝持株会2017年度4月定例募集に関する件」と題した文書で全社員に周知された。4月3日から募集を始め、監査法人からの適正意見を得ずに決算発表するなど混乱が続く中で21日に締め切った。

・・・ということである。

記事をなんとなく読むと、経営危機に陥って株価が低迷しているので、株価を維持するために無理矢理社員に買うように呼びかけているかのような印象を受けるが、そうではないだろう。

社員(東芝では、「従業員」と呼ぶのが正式である)に配布された文書が「東芝持株会2017年度4月定例募集に関する件」と題されていることからもわかるように、これは、あくまで定期的な持株会の募集のルーチンの通知にすぎない。

たまたまこういう時期だからマスコミに取り上げられて騒がれているだけであって、経営危機であろうとなかろうと、東芝が持株会制度を備えている限り、定期的に従業員に配られる通知である。

もちろん、従業員に配られた通知に「危機の今こそ、持株会に入って、会社の株を支えましょう」とでもいう社長名義の文章があったら話は別だが、そんな文章があれば、マスコミに漏れてもっと騒がれているはずである。

竹内克志「残業問題への対応についての違和感」について

竹内克志氏が、「残業問題の対応についての違和感」と題したブログ記事で、

“長時間の残業による過労死の問題によって、残業に関する規制が強化されていることに関して、いろいろ考えさせられることがあります。

 まず、過剰な残業を強制されるような状況は、排除するという方向性には同意しています。しかしながら、それに対応する法律や企業の対応にすっきりしない感じを持っています。”

と述べ、残業規制問題について、おおむね次のように主張している(要約)。

 1 労働時間に応じて成果が決まる職種と、そうでない職種がある。後者についても労働時間の規制を及ぼすのは不当である。

 2 一部企業では、PCの使用記録をもって労働時間を記録するというやり方が行われている。これは、企業の側が違法な長時間労働をさせていないことの証明として行うのであれば、一応理解できる。しかし、管理職のように、労働時間に応じて成果が決まるわけではない従業員にとっては、このようなやり方は不利になるものである。

 3 スタートアップ企業(ベンチャー企業)には、経営者と従業員との区別が明らかでないケースもあり、そのような場合にも一律の労働時間の規制を及ぼすのは、経営の活力を損なう恐れがある。

 このうち1については、何か誤解をしているようだが、労働基準法の労働時間規制は、「成果」が上がるかどうかとは何の関係もない。成果が上がろうと上がるまいと、長時間労働は、働く者の健康を損なうものだから、規制を受けるにすぎない

(さらにいえば、「成果が労働時間に比例するわけではない」ということは、労働時間を規制しなくて良い理由にはならない。「成果が労働時間と関係ない」ということは、「成果を上げるまでは、どこまでも際限なく働かなければならず、健康を害する」ということにもなりかねないからである。逆に「短時間でも成果が上がる」のであれば、規制があろうとあるまいと影響はないはずである。)

2の点は、元の記事の意図が必ずしも明確ではないのだが、おそらく「単に労働時間だけで成果を評価しないでくれ」という趣旨と思われる。しかしここで問題となっているのは、健康管理のための労働時間である。PCの記録による労働時間の把握は、“少なくとも”これだけの時間は働いた(働かされた)ことの証明となるのだから、その限りでは、労働者にとって有利になるものだろう。それと、どの程度の報酬(賃金)を支払うかは、また別問題である。

3の点はなかなか難しい問題であるが、“ベンチャー”“スタートアップ”企業といっても、それこそ「すき家」のようなケースもあるので、労働者保護をおろそかにして良いかどうかは別問題である。もう少しきめ細かく具体的に検討してみる必要があるだろう。

就職活動で話を“盛る”学生(AERAの記事から)

 AERAに、就職活動で話を平気で「盛る」学生の言い分 キツネとタヌキの化かし合い…?という記事があった。
 就職活動で、自分をよく見せるためにウソをつく学生がよくいるという記事で、このウソというのは3種類に分けることができるという。

 
 一つは、順位や売り上げなどの数字をよりよく言ったり「リーダーだった」などと役職を偽ったりする「実績盛り」。
 私が会社員だった頃も、サークル活動や同好会のリーダーを自称する例の話はよくあった。最近は「海外でボランティア活動をしていた」など自称する例が増えてきているそうである。あまりにも同じパターンのウソが繰り返されるので、もう見え見えになってきているのだろう。


 二つ目は、ウケそうなキャラクターを演じるパターン。要は、いかにも採用されそうな性格の人間に見せかけるということだが(結構むずかしいと思うのだが)、これは採用されてもいずれボロが出て自分を苦しめることになるだろう。


 三つ目は、他社の選考状況についての嘘。たとえばトヨタの採用面接を受ける時に、「日産やホンダの二次面接に進んでいます」などというパターンである。これは普通は確認しようがないので、ウソはつき放題のように思えるが、もともと採用選考である程度は上の段階に進ませてもらえそうな学生でなければ意味はなさそうである。


 このようにウソをつく学生の側にも「企業だってウソを付いたり話を盛っているではないか」という言い分があり、これは一理ある。私の就職活動時代も、社員の誰もが国際的舞台で活躍できるかのような印象を与えたり、一部の華やかな部署だけを紹介したりするような企業の新卒採用向けパンフレットは当然のように存在していた。今でもWebサイトで同じようなことをやっているのだろう。


 そう考えると学生も企業も「お互い様」ということになるが、いくらなんでも在籍・卒業した大学を偽ったとか、持ってもいない公的資格があるように装ったとかいうことになると、採用された後に経歴等の詐称を理由として解雇される恐れがあるので、そこは限界というものがある。

 このような不毛なことが起こるのも、大手企業を中心に、大学4年生(または3年生)を大量に面接・試験して短期間のうちに内定を出すという日本独特の新卒採用のあり方がその根底にあるわけである。学生達は、短い期間で少しでも良い印象を持ってもらうために、表面的に取り繕ったりウソをついたりして、必死で内定を取ろうとする。

 本当なら、1週間か2週間、場合によってはそれ以上の間、インターンシップのような形で職場で何かをやらせてみて適性を見て絞り込んでいく方が、企業にとっても本人にとっても望ましいと思うのだが、大学在学中にこれをやらせると“学業に専念できなくなる”という問題があり、かといって大学卒業後にこのようなインターンシップを行う場合は、その企業に採用されなかった者は学生身分のなくなった無職の状態で不安定に職探しを続けねばならないことになる。なかなか難しい問題である。

安楽亭は客層がいいということを強調するバイト

アルバイト情報を掲載した「アルバイトプロジェクト」というウェブマガジンがあるのだが、その中の安楽亭についてのバイト情報がちょっと目についたので、ご紹介する。

安楽亭は客層がめっちゃいい!実際にバイトしている人の評判と口コミ 」というタイトルので、筆者は女子高生だと名乗ったこんな文章が載っている。

“安楽亭でバイトしている高校2年の女子です。

私はかれこれ1年くらい都内の安楽亭でアルバイトをしています。
やめたいと思ったことは一度もなく、非常に続けやすいバイトだと思っています。とくに高校生にはおすすめです!”

という具合に始まって、一通り安楽亭のバイトの環境を誉めたあとで、自分以外にも安楽亭で働いている人の口コミを紹介するといって、まずは仕事の大変さについて触れた声を3件紹介し、その後で、今度は労働環境の良さを強調する声を同じく3件挙げている。

そして労働条件の概要について説明して、最後にネット経由でバイトに応募できるリンク先に導く・・・という構成である。

若干不思議なのは、筆者自身が安楽亭でバイト中の女子高生(のはず)なのに、

“客層がいいと噂の安楽亭。おまけにバイトへの待遇もいいので働く側にとってはかなりメリットが大きそうです。”

と、どこか外部の第三者のような書き方の部分があったり、バイトのまかないによる食事について触れた箇所で

“安楽亭では焼肉が食べれるのか?とワクワクしている自分がいるでしょう。”

と、日本語としては不自然な言い回しがあったりするところである。

 まあどこの会社も似たような感じで、バイトの記事を出しているのだろうか。

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