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東芝が自社株購入呼びかけ

共同通信の記事によると、東芝が社員に「持株会」で、自社株の購入を呼びかけたという。

記事によれば

経営再建中の東芝が、東京証券取引所による「監理銘柄」の指定で上場廃止の恐れが指摘される中、社員向けに自社株購入を呼び掛けていたことが21日、分かった。自社株を保有する社員の多くは、系列の米原発会社の経営破綻などを背景に株価低下で含み損が出ており「会社のモラルを疑う」と反発している。

 東芝関係者によると「東芝持株会2017年度4月定例募集に関する件」と題した文書で全社員に周知された。4月3日から募集を始め、監査法人からの適正意見を得ずに決算発表するなど混乱が続く中で21日に締め切った。

・・・ということである。

記事をなんとなく読むと、経営危機に陥って株価が低迷しているので、株価を維持するために無理矢理社員に買うように呼びかけているかのような印象を受けるが、そうではないだろう。

社員(東芝では、「従業員」と呼ぶのが正式である)に配布された文書が「東芝持株会2017年度4月定例募集に関する件」と題されていることからもわかるように、これは、あくまで定期的な持株会の募集のルーチンの通知にすぎない。

たまたまこういう時期だからマスコミに取り上げられて騒がれているだけであって、経営危機であろうとなかろうと、東芝が持株会制度を備えている限り、定期的に従業員に配られる通知である。

もちろん、従業員に配られた通知に「危機の今こそ、持株会に入って、会社の株を支えましょう」とでもいう社長名義の文章があったら話は別だが、そんな文章があれば、マスコミに漏れてもっと騒がれているはずである。

竹内克志「残業問題への対応についての違和感」について

竹内克志氏が、「残業問題の対応についての違和感」と題したブログ記事で、

“長時間の残業による過労死の問題によって、残業に関する規制が強化されていることに関して、いろいろ考えさせられることがあります。

 まず、過剰な残業を強制されるような状況は、排除するという方向性には同意しています。しかしながら、それに対応する法律や企業の対応にすっきりしない感じを持っています。”

と述べ、残業規制問題について、おおむね次のように主張している(要約)。

 1 労働時間に応じて成果が決まる職種と、そうでない職種がある。後者についても労働時間の規制を及ぼすのは不当である。

 2 一部企業では、PCの使用記録をもって労働時間を記録するというやり方が行われている。これは、企業の側が違法な長時間労働をさせていないことの証明として行うのであれば、一応理解できる。しかし、管理職のように、労働時間に応じて成果が決まるわけではない従業員にとっては、このようなやり方は不利になるものである。

 3 スタートアップ企業(ベンチャー企業)には、経営者と従業員との区別が明らかでないケースもあり、そのような場合にも一律の労働時間の規制を及ぼすのは、経営の活力を損なう恐れがある。

 このうち1については、何か誤解をしているようだが、労働基準法の労働時間規制は、「成果」が上がるかどうかとは何の関係もない。成果が上がろうと上がるまいと、長時間労働は、働く者の健康を損なうものだから、規制を受けるにすぎない

(さらにいえば、「成果が労働時間に比例するわけではない」ということは、労働時間を規制しなくて良い理由にはならない。「成果が労働時間と関係ない」ということは、「成果を上げるまでは、どこまでも際限なく働かなければならず、健康を害する」ということにもなりかねないからである。逆に「短時間でも成果が上がる」のであれば、規制があろうとあるまいと影響はないはずである。)

2の点は、元の記事の意図が必ずしも明確ではないのだが、おそらく「単に労働時間だけで成果を評価しないでくれ」という趣旨と思われる。しかしここで問題となっているのは、健康管理のための労働時間である。PCの記録による労働時間の把握は、“少なくとも”これだけの時間は働いた(働かされた)ことの証明となるのだから、その限りでは、労働者にとって有利になるものだろう。それと、どの程度の報酬(賃金)を支払うかは、また別問題である。

3の点はなかなか難しい問題であるが、“ベンチャー”“スタートアップ”企業といっても、それこそ「すき家」のようなケースもあるので、労働者保護をおろそかにして良いかどうかは別問題である。もう少しきめ細かく具体的に検討してみる必要があるだろう。

就職活動で話を“盛る”学生(AERAの記事から)

 AERAに、就職活動で話を平気で「盛る」学生の言い分 キツネとタヌキの化かし合い…?という記事があった。
 就職活動で、自分をよく見せるためにウソをつく学生がよくいるという記事で、このウソというのは3種類に分けることができるという。

 
 一つは、順位や売り上げなどの数字をよりよく言ったり「リーダーだった」などと役職を偽ったりする「実績盛り」。
 私が会社員だった頃も、サークル活動や同好会のリーダーを自称する例の話はよくあった。最近は「海外でボランティア活動をしていた」など自称する例が増えてきているそうである。あまりにも同じパターンのウソが繰り返されるので、もう見え見えになってきているのだろう。


 二つ目は、ウケそうなキャラクターを演じるパターン。要は、いかにも採用されそうな性格の人間に見せかけるということだが(結構むずかしいと思うのだが)、これは採用されてもいずれボロが出て自分を苦しめることになるだろう。


 三つ目は、他社の選考状況についての嘘。たとえばトヨタの採用面接を受ける時に、「日産やホンダの二次面接に進んでいます」などというパターンである。これは普通は確認しようがないので、ウソはつき放題のように思えるが、もともと採用選考である程度は上の段階に進ませてもらえそうな学生でなければ意味はなさそうである。


 このようにウソをつく学生の側にも「企業だってウソを付いたり話を盛っているではないか」という言い分があり、これは一理ある。私の就職活動時代も、社員の誰もが国際的舞台で活躍できるかのような印象を与えたり、一部の華やかな部署だけを紹介したりするような企業の新卒採用向けパンフレットは当然のように存在していた。今でもWebサイトで同じようなことをやっているのだろう。


 そう考えると学生も企業も「お互い様」ということになるが、いくらなんでも在籍・卒業した大学を偽ったとか、持ってもいない公的資格があるように装ったとかいうことになると、採用された後に経歴等の詐称を理由として解雇される恐れがあるので、そこは限界というものがある。

 このような不毛なことが起こるのも、大手企業を中心に、大学4年生(または3年生)を大量に面接・試験して短期間のうちに内定を出すという日本独特の新卒採用のあり方がその根底にあるわけである。学生達は、短い期間で少しでも良い印象を持ってもらうために、表面的に取り繕ったりウソをついたりして、必死で内定を取ろうとする。

 本当なら、1週間か2週間、場合によってはそれ以上の間、インターンシップのような形で職場で何かをやらせてみて適性を見て絞り込んでいく方が、企業にとっても本人にとっても望ましいと思うのだが、大学在学中にこれをやらせると“学業に専念できなくなる”という問題があり、かといって大学卒業後にこのようなインターンシップを行う場合は、その企業に採用されなかった者は学生身分のなくなった無職の状態で不安定に職探しを続けねばならないことになる。なかなか難しい問題である。

安楽亭は客層がいいということを強調するバイト

アルバイト情報を掲載した「アルバイトプロジェクト」というウェブマガジンがあるのだが、その中の安楽亭についてのバイト情報がちょっと目についたので、ご紹介する。

安楽亭は客層がめっちゃいい!実際にバイトしている人の評判と口コミ 」というタイトルので、筆者は女子高生だと名乗ったこんな文章が載っている。

“安楽亭でバイトしている高校2年の女子です。

私はかれこれ1年くらい都内の安楽亭でアルバイトをしています。
やめたいと思ったことは一度もなく、非常に続けやすいバイトだと思っています。とくに高校生にはおすすめです!”

という具合に始まって、一通り安楽亭のバイトの環境を誉めたあとで、自分以外にも安楽亭で働いている人の口コミを紹介するといって、まずは仕事の大変さについて触れた声を3件紹介し、その後で、今度は労働環境の良さを強調する声を同じく3件挙げている。

そして労働条件の概要について説明して、最後にネット経由でバイトに応募できるリンク先に導く・・・という構成である。

若干不思議なのは、筆者自身が安楽亭でバイト中の女子高生(のはず)なのに、

“客層がいいと噂の安楽亭。おまけにバイトへの待遇もいいので働く側にとってはかなりメリットが大きそうです。”

と、どこか外部の第三者のような書き方の部分があったり、バイトのまかないによる食事について触れた箇所で

“安楽亭では焼肉が食べれるのか?とワクワクしている自分がいるでしょう。”

と、日本語としては不自然な言い回しがあったりするところである。

 まあどこの会社も似たような感じで、バイトの記事を出しているのだろうか。

労働生産性が低いから残業が多いのではなく、残業が多いから労働生産性が低いのでは?

 THE PAGEの「残業上限100時間はアリかナシか? 労使交渉がヤマ場、何が問題なの? 」という記事で、長時間労働の制限に関する労使交渉を取り上げているが、その中の次の部分が気になった。

 “日本企業の生産性が低いことも残業に拍車をかけています。労働経済白書では、日本企業の生産性が低い理由として経営戦略とIT化の問題を指摘しています。伸びる市場での日本企業のシェアが低く、低迷市場でのシェアが高くなっており、日本企業は相対的に儲からない構造に陥っています。”

 この文章の最初の部分は正しいのだろうか。つまり、生産性(労働生産性)が低いと、残業が増えるのだろうか。労働生産性が低いことが原因となって残業は増えるのだろうか

 まず「労働生産性」とは何かといえば、以前のエントリでも触れたが、一般的にいえば、「付加価値」を、就業者数、または就業者数×労働時間(総労働時間と呼んでおく)で割った数値である。
 「付加価値÷就業者数」が1人あたり労働生産性、「付加価値÷総労働時間」が1時間あたり労働生産性である。
  ここでは残業が問題となっているから、後者で考えるべきだろう。

 そして「付加価値」とは、個々の企業経営レベルでいえば、売上から仕入を引いたもので、おおむね利益+人件費(+間接税その他)といえるし、一国レベルでいえばGDP(国内総生産)と同視して良いだろう。

 それでは「付加価値÷総労働時間」が低いと、残業が増えるのだろうか?

 むしろ逆だろう。残業が増えれば、当然に総労働時間が増えるから、労働生産性=「付加価値÷総労働時間」は低くなるのである。

 つまり「労働生産性が低いと、残業が増える」のではなく、「残業が増えると、労働生産性が低くなる」のである。もう少し正確にいえば、「付加価値が増えないままで残業が増えると、労働生産性が低くなる」ということだろう。

 労働生産性とは、まず付加価値と労働時間を与えられてから、二次的に計算される指標にすぎない。

 さて、ある会社で、付加価値が増えないのに残業が増えているとすれば、それは、いくら働いても付加価値の増加につながらない業務の時間が多くなっているからということになる。

 ただし単純化した議論は禁物である。長時間労働しても付加価値が増えない理由は、それこそ千差万別だからである。「働いても付加価値が増えない」ということ、「働かなくても付加価値が減らない」ということは、必ずしもイコールではない。

 まったくムダ・無意味な仕事であれば、前者にあたる。いくら働いても付加価値が増えず、逆にやらなくても別に付加価値が減ることもないような仕事なら、単に辞めれば良い。しかし、働いても付加価値が増えないが、働かなければ付加価値を減らす危険がある仕事というものもある。
 間接部門の中にはそういう仕事が多いだろう。たとえば品質管理とか安全管理とか給与計算の仕事は、それ自体が付加価値を増やすものではない。それではやらなくても良い仕事なのかというと、もちろんそういうことではない。品質管理や安全管理や給与計算の業務がなければ、会社の運営に支障をきたし、結局、付加価値も減少してしまうからである。

 やめても付加価値が減らないような無駄な仕事なら、やめれば良い。その結果、残業が減るということもあるだろう。残業が減れば総労働時間も減る。付加価値が同じままで総労働時間が減るなら、当然、労働生産性は上がる。
  これは、「労働生産性が上がったから、残業が減った」のではなく、「残業が減ったから、労働生産性が上がった」ということである。そして残業が減った本当の理由は、無駄な仕事が減ったからだ。「労働生産性」という言葉をわざわざ使わなくても説明できることである。

「生活費のための残業」なんてものは存在するのか?

 ITmediaの記事によれば、エンジニア情報サイト「fabcross for エンジニア」が3月2日、会社員・公務員1万145人を対象にした「残業に関するアンケート」の調査結果を発表したという。

 “調査によると、「残業する主な要因」として最も多かった回答は「残業費をもらって生活費を増やしたいから」で、「非常に当てはまる」「やや当てはまる」の合計が34.6%だった。次いで「担当業務でより多くの成果を出したいから」(29.2%)、「上司からの指示」(28.9%)、「自分の能力不足によるもの」(28.9%)という結果になった。”
…とのことである。

 このアンケートに限らず、「生活費のために残業をする人が多い」という議論は良く見受けられる。中には「残業を減らすには、残業しなくても良いほどの高い賃金にすれば良い。そうすれば労働時間が減る」という論者もいる。

 しかしよくよく考えてみると、「生活費が欲しいので残業をする」というのは、おかしな話である。生活費が特に欲しくない時は、残業をしなくて良いのだろうか。働く側の懐の事情次第で、残業をやるかやらないかを好き勝手に選ぶことができるのだろうか。

 世の中にはいろいろなサラリーマンがいるだろうから、たとえば残業代が欲しいだけのために、意図的に仕事を遅らせて(サボタージュ?)、午後5時や6時以降も居座り続けて仕事を続ける人はいるかも知れないが、これは病理現象だろう。アンケートで答えた中で最多数派の「生活費を増やしたいから」という選択肢を選んだ人たちが、こういうタイプだとは考えにくい。

 意図的に仕事を遅らせるような異常なケースは別にすれば、残業は、あくまで仕事の必要に応じて行うものである。直接上司から指示されるかどうかは別として、業務だからやむなく行うにすぎない。

 私が思うに、「生活費のための残業」などという混乱した議論が起こるのは、「残業が業務上で発生する理由」と、「働く側が残業の命令(必要性)を受け入れる理由」を混同しているからである。

 「生活費のために残業する」というのは、「生活費のために、自分の意思で勝手に残業する」という意味ではなく、「生活費のために、どっちみちしなければならない残業を我慢する(受け入れる)」という意味に解釈するべきではないだろうか。
 「生活費のため」というのは、残業をする理由ではなく、残業を我慢する理由なのである。

「労働時間ではなく成果に応じた報酬」とは、「出来高払い」のことですよね?

昨日のエントリの続きの補足。

 「労働時間ではなく、成果に応じた報酬にするべきだ。これこそが働き方改革だ!」という主張が、いまや大流行である。私も別にこれを全否定するわけではないのだが、全肯定というわけでもなく、慎重に考える必要がある。

 そもそも「労働時間ではなく、成果に応じた報酬」という言葉の使い方にはブレがあり、意味があやふやなまま流行っている感じがないでもないので、注意が必要である。ここで整理というか補足をしておきたい。

 「労働時間ではなく成果に応じて報酬(賃金)を払う」という言葉の意味を厳格にとらえるなら、まず、どれだけ労働時間が短くても、一定の成果を出せば、その成果に応じた賃金がもらえるということになる。一般に、労働時間短縮とか残業削減の議論の中で、長時間労働を解決する対策として「成果に応じた賃金にすれば良い」という意見を出す論者は、この点に着目している。
 (ただし、たとえば効率が非常に良くて午後3時に仕事を仕上げてしまうような社員がいた場合、会社は、毎日その社員を午後3時に帰らせるままにしておくだろうか?自分が経営者だったらどうするか考えてみれば良い。普通は、余力があると判断して、さらに仕事量を増やすはずである。優秀というか効率の良い人には、ますます仕事が任されるものである。)

 しかし物事は逆のケースも考えなければならない。「成果に応じた賃金」を純粋に考えていくと、どれだけ長く働いても、成果が出なければ賃金が出ないということになるはずである。一番わかりやすい例は、昨日のエントリで取り上げた、請負形態のアニメーターである。アニメ作品で自分が分担する工程を完成させて納品しない限り、1円ももらえない。何十時間かけようと、納品が終わるまではゼロ円である。

 もう1つのわかりやすい例としては、完全歩合給のタクシー運転手である。売上の一定パーセンテージを賃金として支給される。どれだけ長く働いても、売上が増えなければ、賃金も増えない。(ただし現実には、タクシー運転手にも最低賃金法や労働基準法の適用があるので、一定の労働時間があれば賃金ゼロというわけにはいかない。)

 このように、アニメーターとタクシー運転手は、「労働時間ではなく成果に応じた報酬」ではあるが、これらの職種は労働時間が短くて済んでいるのだろうか。もちろんそういうことではない。

 一方、いわゆる「ホワイトカラーエグゼンプション」(WE)の制度についても、「労働時間ではなく成果に応じた報酬の制度」と称されることがある。WEとは、たとえば年俸や月俸を定額で決めておいて、残業代を支給しない制度である。日本では全面的には導入されていないが、現在でも、いわゆる管理監督職(部長や課長など)については、このような仕組が労働基準法でも認められており、残業代を支給しない企業は多い。

 たとえば東洋経済のこの記事では、

 “ホワイトカラーエグゼンプションとは、労働法上の規制を緩和・適用免除される労働者を対象に、働いた時間に関係なく、成果に対して賃金を支払うという仕組みのこと。働いた時間ではなく「成果」によって報酬が決まる制度で、そこには長時間残業や休日出勤という概念もありません。”

 と書いており、「WE=労働時間ではない成果に対して賃金を払う仕組み」という図式で考えている。

 しかしWEというのは、残業代が支給されないというだけであって、成果によって月々の賃金が変わるわけではない。月俸50万とか年俸1000万と決めている以上、成果が出ようと出まいと、毎月の賃金は一定のはずである。月俸50万円のビジネスマンが、大きな成果を上げた月は月俸80万円になるのだろうか。成果が上がらなければ月俸20万円に減るのだろうか。そんな制度を導入している会社は、まず存在しないだろう(皆無とまではいわないが、ほとんど無いだろう)。

 もちろん、成果の善し悪しは、人事評価や昇給査定などで判断されるだろう。そこで翌年の年俸とか月俸には影響するだろうし、成果が悪ければ金額を下げられるケースもありうる。しかしこれは、WEかどうかに関係なく、どんな会社員にでもありうることである。残業代を支給される“普通”の労働者でも、人事評価や昇給査定はある。

 WEは、「労働時間ではなく成果に応じた賃金を受ける制度」ではない。ただ単に「労働時間と無関係に、定額の賃金を受ける制度」に過ぎないのである。

 本当の意味での「労働時間ではなく成果に応じた賃金」とは、WEではなく、請負アニメーターや歩合制タクシー運転手のような、いわゆる出来高払いのことである。皆さん、言葉の使い方を間違えないように注意しましょう。

アニメーターの過酷な労働現場は、働き方改革から見れば理想の職場?

キャリコネニュースの記事『クールジャパンも崩壊寸前!?アニメーターの過酷な勤務実態 「賃金が低すぎて自立して生きていくのが辛い』によれば、NPO法人若年層のアニメ制作者を応援する会(通称AEYAC)という団体が、2月25日、「2016年度AEYAC若年層アニメーター生活実態調査報告書」を発表した。
 キャリコネの記事によれば、「調査結果からは、若手のアニメーターが低賃金や長時間労働に苦しめられていることが明らかになった。」ということであり、

>勤務形態は、労働基準法が適用されない「個人事業主(スタジオ所属)」(68.6%)が最も多く、次に多いのは「契約社員」(19.0%)だった。「正社員」はわずか7.2%に留まった。
>給与形態は、「完全出来高」(46.4%)、「固定給+出来高」(39.3%)の順に多かった。

・・・
>1か月の休日は、4日(29.4%)、5日(16.3%)の人で半数近くに上っており、長時間労働のうえに休日も限られていることが伺える。

・・とのことで、しかも平均月給は20万円を超える者は全体の3.9%しかいないなど、なかなか過酷な労働環境である。

 しかし皮肉なことだが、このようなアニメーターの過酷な仕事のあり方は、最近あちこちで主張される「これからの働き方」「新しい働き方」を称賛する人たちから見れば、まさにこれからの仕事のあるべき姿を示す、理想の職場ということになるのである。
 なぜかって?
 たとえば、『ビジネスノマドジャーナル』の次の記事を見ていただきたい。

【進む働き方変革】第2回:働いた時間ではなく、「成果」で評価をする働き方に

 この記事では、一般論として、これからの働き方のあるべき仕組みとしては、労働時間で評価することをやめ、成果に応じた報酬にして、個人は会社から自立して仕事をするようにするべきだとして、次のように述べる。

“時間労働を是正するという観点でも、働いた時間ではなく成果で評価をすることが、個人の自由な働き方の実現に必要になるでしょう。”
“「会社にいた時間」ではなく、「仕事の成果」に対して報酬を払う。労働時間に依存しない評価を、人材活用の仕組みに組み込んでいくことが必要です。”
“実際のところ、インディペンデントコントラクター(高い専門性を持った個人事業主)になる主な動機の一つとして、「自分のスケジュールを自分で管理したい」ということが挙げられています”

 要するに、この記事が強調しているのは、①「労働時間ではなく成果で評価して報酬を払うようにするべきである」、②「個人は企業から自立した個人事業主のようになるのが望ましい」という点である。

 この記事の観点からいえば、上記の過酷なアニメーターの労働状況は、まさに個人の自由な働き方を実現した、理想的なものだということになる。

なぜなら、多くのアニメーターは、上記の①と②の条件に完全に当てはまっているからである。

 まず、①アニメ作品を製作するという仕事であり基本的に出来高制なのだから、労働時間とは関係なく、まさに「成果」に対して報酬をもらう立場であり(=逆にいえば、いくら働いても、作成したものを提出しないと、1円もはいってこない)

 次に、②労働基準法が適用されない「個人事業主」が多いので、まさに「企業から独立した個人事業主」に他ならない。

なんとも驚くべきことではないだろうか。
「新しい働き方」「これからの働き方」を主張して、「成果による報酬」「自立した個人事業主」を提唱し、長時間労働からの解放や自由な個人のあり方を追求すると称している人たちのいう条件を満たす職場が、過酷なアニメーターの現場だったとは・・。

今回の東芝危機は「事なかれ主義」ではなく「リスク取りすぎ」の問題である

東芝の経営危機については、毎日のようにメディアで、新たな(真偽定かでないものも含め)情報が報道されたり、論者がコメントを出したりしている。

最近でも、宋文州が、「東芝問題の裏に隠された本当の問題」というコラムで、東芝の問題は、日本企業全般に共通する体質の問題であり、リスクを嫌い組織に安住するような風土が根底にあると述べていた。

東電、東芝、シャープ、ソニーなどの名門にいる社員達は「自分が誰か」よりも「自分がどこに属するか」のほうが大切です。自分がどう生きるかではなく、どうやって無事に退職できるか、どうやって組織内のピラミッドをよじ登るかが彼らの目標です。

辞める人がいないため、東芝で中途採用の社員に会ったことがありません。話によると東電の約5万人の社員にも中途入社の社員は一人もいなかったそうです。自社しか知らない、自社にしか適応できない社員の中から誕生した社長が、大きな井の中の一番大きな蛙であり、ガラパゴス島の王者です。人脈が広いが、視野が狭い。順風に強いが、逆風に弱い。気が大きいが、肝が小さい・・・。”

“・・・これは中小企業を含む多くの日本企業の共通点です。経営目標実現のための法律相談よりも、保身のための法律相談が多いのです。中小企業なのに海外企業との契約書の審査に数週間もかける現実をみて、私は呆れてもう彼らにビジネスを紹介する気にもなりません。

・・・リスクを嫌う日本的経営者が弁護士や専門家に回避対策を求めているうちに、経営リスクがどんどん次のリーダーに先送りされます。このリスクのリレーがやがて限界に達して爆発してしまうのです
。”

宋文州の指摘するような体質が東芝、ひいては多くの日本企業に存在することは事実だろう。

ただし現在の東芝の危機は、これとはまた別次元の問題としてとらえるべきである。西田社長時代に米国の原子力メーカー・ウェスチングハウス社を買収したこと(それも行きすぎた高額で)、さらに米国の原発建設工事を積極的に受注したことがその危機の原因である。

西田社長時代はこの件に限らず、東芝にしては、リスクを避ける事なかれ主義どころか、逆にかなり積極的にリスクを取る大胆な経営をしていたので、それが裏目に出たということになる。

宋氏の「日本企業は遅いし、リスクを避けたがる」という論評は、それはそれで一般論としては当てはまるし、東芝もそういう体質は極めて強い会社ではあるのだが、目下の東芝の危機はそれとは別・・・というよりむしろ逆であって、無謀なリスクを冒したことが原因である。

(敢えて付け加えれば、リスクを冒したのがダメというより、リスクを冒したあとの状況変化への対応がまずかった、ということになるだろう。)

宋氏のこの記事は、比喩的にいえば、交通事故で倒れた患者を前にして、糖尿病や高血圧などにからむ慢性的な問題についての体質改善の一般論を議論しているようなものである。糖尿病や高血圧はもちろん何とかしなければならない問題であり、それを指摘するのは確かに有意義なのだが、交通事故は交通事故で、それとは違う次元で検討しなければならない。

何のための「労働時間削減」なのか

 電通で若い女性社員の高橋まつりさんが自殺した事件が大きく報道されて以降、「残業抑制」「労働時間削減」が社会全体で、従来以上に強く叫ばれるようになった。

 ここでは、この労働時間削減について思いついたことを二三点、書き留めておきたい。

1.「労働時間の削減」は、生産性向上のためなのか?

 時々、「労働時間を削減すれば、生産性が向上します。」という言い方をする論者がメディアに見受けられる。このこと自体は間違いではない。(もう少し正確にいえば、企業レベルで売上その他の条件を変えないまま労働時間を削減すれば、時間あたりの労働生産性は向上する。)

 ただ、ここで疑問を感じる。生産性向上のために、労働時間の削減をするということなのだろうか?一番重要な目的は、生産性向上なのか?労働時間の削減は、生産性向上のための手段にすぎないのだろうか?
 そうだとすれば、仮に労働時間を長くした方が生産性が向上するのであれば、労働時間を逆に長くするべきだというのだろうか?

 そういう問題ではないだろう。労働時間の削減は、働く人間の健康や家庭生活のためであって、生産性向上のために行うものではないだろう。

 逆ならば、理解できる。「生産性を向上させれば(=短い時間で同じ売上や利益等が維持できるような仕事の仕組みにできるなら)、労働時間を削減できる」ということである。

2.電通の事件の本質は「長時間労働」だったのか?

 電通の自殺事件では、女性社員が長時間労働をしていたことが明らかとなっている。過剰な残業と自殺とに因果関係はあるのだろうが、問題の本質はそこなのだろうか。残業時間がもう少し短ければ自殺しなかったのだろうか。むしろ組織での立ち位置とか、上司の指示や対応の仕方とか、全体的な雰囲気とか、いわゆるパワハラやセクハラとか、そのような要因がかなり影響していたのではないかとも思うのだが、どうだろう。
 ただ、労働時間は何らかのデータとして表に現れやすいのに対して、組織とか人間関係のような要素は外部からはわかりにくく、内部の人間も口を閉ざしているのでは、解明は難しいのかも知れない。

3.「労働時間の削減」は労働の強化をもたらすこともある

 労働基準法の考え方でいえば、1日の労働時間が短くなることは望ましいことである(たまに勘違いしている人もいるが、労基法で1日8時間が原則とされているからといって、8時間働かせなければならないということではない。労基法は、1日の労働を8時間より短くすることを禁止しているわけではない)。1日12時間働かせるよりは、10時間、さらに8時間のほうが好ましいことになる。

 ただ、従来10時間でやっていたことを8時間で済ませろということであれば、労働者にとってみれば労働の強化、つまり仕事の強度とか負荷がより高くなることにもつながりうる。このことは念頭におくべきだろう。(労働者数を増やして対応するなら別だが、現実には困難であることが多いだろう。)

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